疾風(かぜ)伝説 特攻(ぶっこみ)の拓〈Version28〉 (マガジン・ノベルス)
多くの謎を残したまま中途半端に完結してしまった伝説の漫画、その続編。であったはずだがこちらも物語りは未完のまま。今では入手困難になり、結末も永久に闇の中かと思いきや、最近奇跡の外伝として始まった『アーリーデイズ』で徐々にミッシングピースが埋まりその全貌をあらわしつつある。神話的大傑作『特攻の拓』いつの日か「その後」も全て、漫画という形で語られる日がくるのを祈っている。
楽園の日々―アーサー・C・クラークの回想 (ハヤカワ文庫SF)
クラークの作品の魅力に、その前書き、あるいは、あとがきをあげる読者は多いのではないだろうか。
諧謔を交えながら、宇宙飛行士や著名人がクラークの作品にいかに影響を受けているのかということや、彼の作品がいかに正しく未来を予見していたのかということを、少し子供っぽく自慢気に語る様子に、僕はいつも好感を覚えていた。
その前書きの文章のままで、自分の自伝や、当時の宇宙観を交えながら、SF雑誌アスタウンデイング誌の半世紀の歴史を饒舌に語っていく。その薀蓄や、雑誌の各号に載っている代表的なSF作品のあらすじやそのおち、そしてそれが当時のどのような宇宙観によるのかということをとにかく滅法面白い語り口で語っていく。
本書を読んで、SFが実はきわめて短い時間の中に確立されていったことに驚かされた。また、ジョン・キャンベルというMITで学び最終的にDuke大学で物理学で学士号を取った編集者・作家がアメリカSF会を引っ張っていったことが、今日のきわめて厳格な物理学、生物学的な知識を基盤として、作品世界を構築する"ハード"SFという、日本ではほとんど育っていない分野を育てていった原動力となっていっているのがわかる(同時に確立ゼロという分野をもうけブラッドベリのような作家の作品を載せるという力量も発揮している)。
科学技術や理論は、ある技術が確立したり証明されえると、その黎明期に起きた様々な仮説は忘れられて、そのことが最初から当然であったかの様に社会に居座ってしまう。
宇宙開発の初期に行われた活発な議論もまさにそのような例で、人が大気圏の外に飛び出す以前に、どのような議論が行われていたのかということは、真実が証明されてしまい、それ以前の間違った多くの仮説が忘れられてしまっているだけに、非常に興味深い(あることが成功するまでは、保守的な権威は、その時代の様々な知識を駆使して、それが出来るわけがないということを周囲の人にまことしやかに説得しようとする、まさにクラーク第一則、著名だが年配の権威が不可能だといえばたいていの場合まちがっているを辞で行くのである)。アスタウンデイング紙上をにぎわした、今となってはお笑いとしか考えられない様々な作品が、当時としては結構まじめな科学的仮説にのっとっているのだということを披露したりするあたり、クラーク氏の筆はさえまくり、思わず、ううむとうならされたり、がははと笑わせられたりした。
本書は1989年、72才の作品だが、柔軟に物事を考えているその姿や、科学とSFについて、子供のように嬉々として語る姿に、感激を覚えてしまう。その姿はまさにセンス オブワンダーだ(誰だエゴマンといっているのは!)。
クラークの作品の前書きが好きな人、知っているようで知らないSFの歴史に触れたい人、そして心をうきうきさせるものを読みたい人に本書はオススメです。
クラーク様、この30年間、僕はあなたの作品を毎年2-3冊読んできました。
そして、Brilliance Audio CD 2001の中でだみ声でスタンリーとの昔話を自慢し、そしてその死を悲しむあなたの声は、運転しているときにいつも私の車のオーデイオから流れています。
あなたの作品に出会えてことで僕はよりよい人生を生きることが出来ました。
そして、あなたの作品に出会えたからこそ、僕は科学者になったのでした。
本当に、ありがとう。
Jewelry days
どっちかと言えばゲーム版のサントラの方が好きですが。
Love×2♪songのフルが聞きたかったんで買ったんだけどまさか違うとは。
ノリはなかなかの物なので買っても損は無いかと。
オーガストのHPにゲーム版の試聴曲があるんでそれ聞いてから購入するかは悩めばいいし。
Love×2♪songの方は本人のラジオの最初でちょっと流れてるんでそれで判断という感じで。
28日後... 特別編 [DVD]
「夏はホラーよね」と軽薄な気分でレンタルしたら、かなりの名作でした。ビックリしてしまった。ゾンビ映画だと思っていたら…いや、ゾンビは確かに登場しますが、これは人間存在を考察する寓話だったんですね。
冒頭の「誰もいなくなった街」の不気味な美しさは一見の価値アリです。人間の影が一切ない街、というのを想像出来ますか。恐ろしく、物寂しく、同時に映像的には妙な開放感があるのです。私たちは誰しも心のどこかで「現代社会はとにかく人間が多すぎる…」とボヤいているのかもしれない。
中盤から恐ろしいのがゾンビなのか人間なのかジワジワと分からなくなる辺りの心理的な恐さが見事です。そしてこれは非常に切ないファンタジーでもあるんですね。イエーダーマン(普通の男)の主人公の青年は、最初は「無力」と「困惑」を体現し、しかし最後には、大勢の男を敵に回して、ヒロインと少女を守るヒーローになるんですから。つまり「滅びた国で最後に生き残り、女を手に入れる男」という訳です。そしてそれが、普通の、善き青年なのです。「平凡な善人の青年」は果たしてこういう狂気が支配する状況で生き残れるのでしょうか。極限状態でスーパーマンになれるのでしょうか。これは、そうあれかし、というファンタジーです。「最後に生き残る男が善き人であって欲しい」という見果てぬ夢が込められた物語です。
ホラーというよりダークなファンタジーではないかしら。ある意味、願望充足型の物語ですが、監督の人間に対する悲哀や諦観が静かに伝わってくる世界でもあります。前評判を知らずに手に取った一本ですが、掘り出し物でした。