写楽 (別冊太陽 日本のこころ 183)
浮世絵愛好家、特に写楽好きにはたまらない出版です。今東京国立博物館で「写楽展」が開催されていますが、東博に行かなくても自宅で写楽を堪能できるムックです。
ギリシャ国立コルフ・アジア美術館蔵「四代目松本幸四郎の加古川本蔵と松本米三郎の小浪」という貴重な肉筆画が冒頭に掲載してあります。編者の大和文華館館長・浅野秀剛氏による詳しい解説と作品の拡大があり、その特徴が理解できました。
本ムックは東博の所蔵の錦絵を中心に、慶應義塾、千葉市美術館、山口県立萩美術館・浦上記念館、ベルギー王立歴史博物館、シカゴ、ボストン、メトロポリタン、ホノルル、ベルリン、アムステルダム、トレド、ギメ各美術館などから、写楽が残したほぼ全作品に近い点数を掲載してありました。この網羅性と印刷物の仕上がり、原本の状態の良さなどが特徴として挙げられます。
東洲斎写楽の作品の中で、28枚を数える第1期の大判錦絵の雲母摺による役者の半身像は、高い評価を受けています。1ページ1作品の掲載ですから鮮明に観賞できますし、大首絵の力強い目に引きこまれます。口の描き方や鼻にも特徴があり、そのデフォルメされた様式美が江戸時代には珍しかったのも頷けます。
写楽の活動した時期は、寛政6年と7年の約10ヶ月の間だと言われています。その短期間に、約150枚の歌舞伎の役者絵等を描いて消えたのがとてもミステリアスですし、短い活動期間でかくも印象的な作風を世に問うたわけですから、それは人気を博したことでしょう。
ラストには写楽の人物像に迫る好著を表した中野三敏氏(近世文学研究家)の談話が記されており、学会の支持を得られている説が掲載してありました。
史料に基づく実証的な推論で、斎藤月岑『増補浮世絵類考』に記してある東洲斎写楽が阿波侯お抱えの能役者斉藤十郎兵衛だという過程の実証が素晴らしく、分かりやすく納得できる結論だと思われます。
眺めて良し、読んで良しのムックでした。
写楽―江戸人としての実像 (中公新書)
寛政5,6年(1793,94)に作画したことのみが知られている「写楽」捜索物語です。過去の人物を探求するには、同時代人の証言を確認し追跡調査することが一番とのこと。
写楽の場合にはそのような証言として、斎藤月岑の「増補・浮世絵類考」天保14年(1843年)があるそうです。この書の中で、写楽は、『俗称斎藤十郎兵衛、江戸八丁堀に住む。阿波侯の能役者』と書かれています。著者は、先ずこの書の著者月岑とその書を考証し、この資料を写楽研究が拠るべき第一の位置に据えます。そこから、その記載内容に関わる資料が探され、再び考証されて、月岑の記載内容に信憑性を与えていきます。『地蔵橋 号写楽齊』の記述がある「諸家人名 江戸方角分」、歌舞伎役者 瀬川富三郎作 文化14年(1817)―文化15年。『斎藤与右衛門』が載っている「八丁堀明細図」嘉永7年(1854)。更に「重修猿楽伝記」「猿楽分限帳」、「法光寺過去帳」など関連資料が次々見いだされて、月岑の記載内容を裏打ちしていきます。
これらの記載内容の追跡と同時に、著者の論理の一番の鍵は、江戸時代には雅俗、士庶の違いが、はっきりあったと言うことのようです。これも納得できます。
長い時間を掛けた研究の苦労を感じさせずに、七面倒な考証をも面白く読ませる力。読者の呼吸にあわせるように、巧みに惹きつける講談調の文章。とても古稀を越えた学者の仕事とは思えません。内容は勿論ですが、語り口を聞くだけでも読む価値は充分あります。
日本の意匠 鳥獣戯画 NIPPON-04
3DSに貼り付ける蒔絵シールを東急ハンズなどで
ずっと探していたのですが見つからず
半ば諦めていたのですが……
まさかamazonにあったとは!
速攻で購入し、すぐに3DSをドレスアップしました。
鳥獣戯画には嬉しい一品。
出来れば他の絵柄(追いかけっこしている所とか)の
発売も期待させていただきます。
うつし金蒔絵シール 浮世絵 写楽 市川蝦蔵(えびぞう) 550
うつし絵は昔から使っていますが、今回は浮世絵。PCのカバーにつけています。スマートフォンにもつけます。
非常に気に入っています。うつし方も簡単で、なかなか取れることも無く便利です。