パウル・クレー [DVD]
このドキュメンタリーはフランスで制作されたもののようですが、原語音声+日本語字幕の設定は無く、クレー自身の言葉を表現する男声とナレーションを担当する女声による日本語吹替モードしかありません。
つまり、商業的あるいは芸術的な映像作品を意図したものではなく、クレーの人生と作品を一時間に要約した純粋な教養プログラムといえるでしょう。ドラマチックな展開や派手な演出効果など一切無く、時系列に沿って淡々と出来事や代表作、そのときのクレーの哲学が紹介されていきます。
その代わり、静かなピアノと効果音のみの音声無モードが選択でき、BGVとして映像とサウンドトラックのみを楽しむことが出来るようになっています。
また、ギャラリー(静止画)としてクレーの絵画150点がやはり時系列に収録されていますが、まるで実際の美術館に入って展示室を一望した後、一点一点を眺めていくように階層が構成されています。
ストイックな好感の持てる配慮ですが、欲を言えば、生まれ故郷であるスイスの首都ベルン郊外に2005年6月に建設されたパウル・クレー・センター(建築は巨匠レンゾ・ピアノ)を紹介するものであれば良かったと思います。
クレーは1879年に生まれ、早くから絵画のみならず音楽や文学にも才を示したようですが、若き日に画家の道を歩むことを決心しました。そうした背景があったからこそ、同一人物の作品とは思えないほどの作風の違いを後々展開することになったのだと理解できます。
若き日の食扶ちのためのデッサン、モノクロの濃淡だけの表現、チュニジア旅行で開花した水彩による色彩。カンディンスキーの影響から抽象に転じて、バウハウスでの教員生活を通じて追求された絵画理論の実践。
晩年はナチによって退廃芸術と見なされ不遇を囲いますが、このことが有名な天使のシリーズを生むきっかけになったようです。本作には「天使の沈黙」という副題が付いています。
パウル・ツェラン詩文集
パウル・ツェランに出逢ったときの衝撃は忘れない。
「言葉」というものの持つ、重さと強さと、そして優しさと……
難解で硬派な詩なのだが、
訳の分からないものが意味を持って迫ってくる。
決して「心地よい」詩ではないのだが、
読後の充実感はたとえようがない。
全詩集を揃える余裕がなくても、
この詩文集なら手が出せる。
充分に彼の世界が堪能できるはずだ。
生きる勇気 (平凡社ライブラリー)
ティリッヒはまず「勇気」の構造を明らかにする。
「勇気とは『それにもかかわらず』自己を肯定することである」と。そして「それ」とは無と不安であるとする(ここに彼の精神医学の立場がある)。
そして「存在する勇気」には「個人として存在する勇気」と「全体の部分として存在する勇気」があり、実存主義を「個人として生きる勇気」として位置付け(ここに彼の哲学の視点がある)、また「全体の部分として存在する勇気」は神への参与でなければならないと訴える(ここに彼の神学者としての考えがある)。その上で、2つの勇気がそれぞれ「世界の喪失」と「自己の喪失」という結果に終わってきた人類の歴史を俯瞰する。
最後にあるべき「生きる勇気」を考察する。
「不安をa塊±自身のなかへ引きうける勇気は、人間の自己に固有な力あるいはこの世界が持つ力などよりももっと大きな『存在それ自身の力』に根ざしていなければならない」「生きる勇気とは信仰の一つの表現である」との立場から、「神を超える神」への絶対的信仰について考察し、「生きる勇気とは、神が懐疑の不安のなかで消滅してしまったときいにこそあらわれ出る神に基礎付けられている」と締めくくる。
<コメント>
平易な言葉で書かれてはいるが、存在論としての西洋哲学の全体像と、基本的な神学の構造を理解していなければ、彼の思想の偉大さと課題は理解できないであろう。ましてや、彼が残した課題を21世紀に生きる人間として受け止めて行くことは不可能である。
彼は英語が苦手であったにもかかわらずドイツからアメリカに亡命後は英語で本を書いた。この本もその一つである。そのため、訳は英語訳を基本としながら、独語と食い違うところは独語訳を優先している。とても丁寧に訳されていると感じる。
ただし、「The Courage to be」を「生きる勇気」と訳したのは、勇み足であろう。ここでいう「be」は「生きる」というよりかは、西洋哲学の存在論の立場に立った「存在する」というのが正しい。そして訳者もそれを知っていながら、あえてこのように訳している。
よって、タイトルから勘違いしてはならない、この本は安直な「癒し系」の哲学書であるどころか、不安と無を自己自身の中へ引き受ける「絶望する勇気」を要求する容赦ない哲学であり、その上で彼の考えに従えば「神を超えた神=存在そのものの力に既に受け入れられていることを受け入れる」ことを感じる事ができる者のみが「癒される」のである。あくまで彼が神学者であることを忘れてはならない。「本質存在から阻害された人間を全体の根底の一部へとならしめる」という彼の!現代人の救済」は、西洋哲学独特の二元論的な存在論の範疇から出ようとしない彼の限界があることを、冷静に受け止めなければならない。
いにしえの響き-パウル・クレーの絵のように-
安易に流れてしまうアメリカ生まれのニューエイジミュージックとは明らかに一線を画すもの。オリビエメシアンに師事。現代音楽、クラッシック、ジャズとジャンルにこだわらない活躍と高い評価はすごすぎる。このアルバムは画家の絵にインスパイヤーされて作曲されたもの。音に色彩感なんてあるのか、と疑われる人もおられるだろうが、これを聴けば存在することにびっくりするだろう。このアルバムはエンターテイメントではなく、シリアスミュージックなので、ある意味緊張感を強いられる部分、強烈な音の放射を浴びることになる。
そのへんの生命力と絶妙な音色配分センスがスペクトラムのように輝き異彩を放つ。メシアンが好きな人におすすめ。
10点中9点 画家とは『パウル クレー』のことである。
1音の中に深い価値=イマジネーション=を極限にまで込めようとする姿勢には頭が下がる。
ハウルの動く城 [DVD]
「千と千尋の神隠し」の後に劇場公開された宮崎アニメ。
独特の飛行機械と魔法が共存する、宮崎アニメっぽい不思議な世界で、年頃の娘が魔法で老婆に変えられてしまうが、それを乗り越えていく話。
この作品で作者が訴えたいことは、現代日本人の「心と身体の年齢のギャップ」であると思われる。
話の序盤、ヒロインのソフィーが魔法で老婆に変えられてしまう。
だが、老婆になってもソフィーの存在に違和感がなかった。
それは彼女の心が、本来年頃の娘が持つべき活動的なそれではなく、生きることに疲れた老人が持つ厭世的なそれと同じだったからである。
そしてヒーロー役の魔法使いハウルは、身体は立派なハンサム青年だが、心は子供のままだった。
二人は、全く正反対の心と身体の年齢的ギャップに苦しんでいたのである。
しかし話が進むにつれ、二人はお互いを意識し始め、恋を覚え始める。
そして愛する者のために、心の底から命を張って救おうと自ら行動したとき、魔法は解け、彼女の外見は若返る。彼の心は大人になる。
このことから、魔女がかけた魔法は「老化」の魔法ではなく「心の年齢が外見に表れる魔法」だったこと、そしてハウルが炎の悪魔との契約で支払った代償が「心の成長」だったことが判明する。
つまるところ、この作品は「恋する者はいつまでも若々しい」「恋するものは人として成長する」という、現代に生きる人々に対するメッセージなのではないだろうか。
この作品は、それを見事に表現している非常に高度なストーリー構成であり、宮崎駿監督の脚本・演出の実力をうかがわせる。
まだ見ていない人は、ぜひともお勧めする。
特に外見で悩む女性には。