モダン・タイムス (2枚組) [DVD]
本作は、当時の自動車王ヘンリー・フォードを激怒させたことでも知られる。
もっとも、この後はアドルフ・ヒトラーを敵に回すことになるのだが、少なくともチャーリーは「アジテーター」じゃない。
もちろん、それが話題になることは承知の上だったろうが、凄いのはそれらの「警鐘」が現代にも活きていることだ。
「モダンタイムス」はチャーリー熟練の「喜劇」だ。決して「ドタバタコメディ」じゃない。
工場のイメージは、若干「メトロポリス」の影響もあるのかな、と思うが、そこで暴れまわるチャーリーの姿は、もう至高の業だ。
チャーリーとバスター・キートンが100年経っても「スーパースター」として残り、ロスコー・アーバックルが消えてしまったのは
ロスコーのスキャンダルのみならず、そこが喜劇とドタバタコメディの「境」だと思う。
クラウド時代を迎えて、我々の生活も化石燃料から「電気」へ完全移行しつつある。
自動車まで普通に電気で走ろうとは、チャーリーも想定していなかったと思うが、最近ふとこの作品を思い出すのだ。
機械を動かす立場から、機械(クラウド)の下で動かされる立場。
「モダンタイムス」はある意味恐怖映画だとも思うのだが、機械労働に飲み込まれて、おかしくなっていくトランプの姿は、
病んでいく現代を見透かしているようだ。
世の中はどんどん便利になるが、それに伴い失うものもある。
チャーリーの警鐘は、これからも永遠に生き続けるだろう。
星を付けるのもおこがましいが、とにかく5つ星です。未見の方はぜひ。
ル・シネマ~フィルム・ミュージック
このCDの解説文中に、クレーメルの言葉が有るので紹介したい。−−映画は私にとって芸術です。この芸術の巨匠たちから私は音楽へのインスピレーションも与えられています。ベルイマン、ヴィスコンティ、フェリーニ、アントニオーニ、オーソン・ウェルズ、黒澤明のような著明な映画監督は、私が表現力や芸術の劇的核心を求めてゆくとき、しばしば大きな参考になります。このディスクは映画音楽のアンソロジーではありません。そこに私の関心があったとすれば、かなり多くの作曲家が抜け落ちていることになります。『ル・シネマ』の選曲にあたって、私は映画との結び付きが納得させられる音楽、ヴァイオリンで弾ける音楽、そして何よりも感情と強く結びついた音楽を優先させました。(中略)このディスクは、映画ファンであもある一人のヴァイオリン弾きが音楽でつずった日記なのです。(ギドン・クレーメル(本CDの解説文より))−−
クラシックの演奏家、作曲家の中には、映画を音楽よりも一段下の物として見下す人が居る。クレーメルが、その様な音楽家の一人ではない事は、このCDの解説に収められたクレーメル自身の上の言葉から明らかである。
最初の『スマイル』(映画『モダン・タイムス』より)を聴いた瞬間から、私は、このCDの虜に成った。武満徹がタルコフスキー追悼の為に書いた『ノスタルジア』も素晴らしい。クレーメルにとって、映画がどれほど大切な芸術であるかを知らされる宝の様な名盤である。
(西岡昌紀・内科医)
機械化された工場で働く工員のチャーリーは今日もてんてこまい。生産率アップしようと考えた社長が機械のスピードを早める度に奮闘し、休憩しようにもできない。揚げ句の果てには作業をしながら食事をすることが出来る機械を試されてしまう。ネジを締める作業の繰り返しに、とうとうノイローゼになってしまい、工場仲間の鼻をひねったり、社長に油をひっかけたり…。やがて孤児の娘と出会い、彼女と家を持つささやかな願いを持ちます。「そのためになら働くぞ!」と決心するチャーリー。しかし工場は閉鎖され、失業者は増えるばかり。何ともおかしいエピソードの仲にも現状の厳しさが織り込まれています。一見コメディなのですが、チャーリーが警備するデパートに昔の工場仲間が強盗として侵入したり、娘が踊子として働いたり…。冒頭のクレジットの言葉通り、この映画は貧しさと戦う人々の物語なんだなと思わせられます。チャップリンの3番目の妻となるポーレット・ゴダードがかわいいです。
モダンタイムス (Morning NOVELS)
引き込まれる要素満載の伊坂ワールドが続きますが、最後は数多くの謎を残したまま何だかシレッと終わってしまいます。浮気相手、奥さん等々、物語に出てくる魅力的な登場人物の素性が結局わからないままただの登場人物として終わってしまいます。
伊坂ワールド独特の終わり方を期待する方にはすっぽ抜けに感じるかも。
モダン・タイムス [DVD]
暮らしや仕事の中で動いてる大きな歯車。私たちは日々その歯車の一つにならないといけないんです。
でも時々そういう世の中の流れ(仕事・勉強・家事・交際)についていけなくなって、ひとり孤独になる人も出てくる。
人間がまるで羊の群れのように工場に押し寄せ、機械の奴隷と化す。(冒頭のシーン)
映画の中でチャップリンは、社会(流れ作業)に適応できなくて孤立してしまいます。
そんなときに彼は、貧困と悲しみで苦しむ少女と出会います。
“歯車になれない2人”が手を取り合い、彼らなりに歯車になろうとする。
ラストシーンの2人で道を歩く姿は、世界の評論家も絶賛するカットとなりました。
現代にも通じる「人間らしさ」を求める想い。
私生活でなんだか無意味に落ち込んだら、いつでもこの映画を観てほしいです。