中河与一/横光利一 (近代浪漫派文庫)
徒らに新奇を追うごとき文芸ジャーナリズムから一歩距離を置いた本シリーズの一書として、横光利一との合本でもいい、中河与一を選んでいることを是としたい。
突出して有名な「天の夕顔」以外は読まれなくなった作家だけに、今回の企画を喜ばざるをえない。この人の文学的原点は、短歌であることを知悉の上、歌集「秘帖」全歌を冒頭に掲載したのは英断であったと思う。小説家にとって、短詩型は余技であるので、作品紹介では重視しないのが普通であるが、普段目にしないものを提示してくれている。
横光との関連で言えば、横光がマルクス主義の文学理論と対立して、形式主義文学論の展開を行った際、これに同調して「偶然文学論」を主張した。本書には、「氷る舞踏会」「鏡に這入る女」などの短編の後に、「偶然の美学」と題する評論が載せられている。平板なリアリズムの不毛性に対する不満と豊かな想像の世界を切り開くものである。
本シリーズ「近代浪漫派文庫」直前の「保田與重郎文庫」の保田與重郎とは、肝胆相照らす仲であるは知る人ぞ知るであろう。日本の伝統的抒情・浪漫性を継承する数少ない人たちである。
天の夕顔 (新潮文庫)
本書が日本ロマン主義小説の最高傑作であることは他のレビューでもすでに指摘されている通りであるが、
ゲーテやスタンダールを見れば分かるように「真の」ロマン主義というのは前時代の古典主義を
完全に消化することではじめて生まれるものであり、本書もその点で例外ではない。
実際、許されざる恋愛を忍ぶ男女という、下手な作家ならただ鬱陶しくなるだけの題材が
タイトルの通り天上のものにまで昇華されているのは(一人称語りならではの)多彩な語り口を
誇りながらも決して「おしゃべり」な印象は与えない中河の端正な文体の力によるものであり、
それは中河の古典に対する造詣の深さ(中河は歌人としても作品を残している)に由来するものに
他ならない。ヨーロッパ文学を自然主義の段階で導入したために日本文学の中で(江戸時代には
むしろ主流だった)古典主義やロマン主義の発展が阻害されたのは(丸谷才一や中村真一郎をはじめに)
よく指摘される通りだが、中河の文学はその中での「幸福な例外」として祝福したい。