切羽へ
離島の日常である。絵描きの夫と静かに幸せに暮らす養護教諭である。官能小説にも恋愛小説にもなりようもない設定である。寿命の尽きそうなばあさんが、淫夢を見ているらしいということが、大事件のように囁かれてしまう平穏な離島である。
そんな小説世界なのに、非常にエロチックで、たまらなく緊張感のある恋愛小説である。物理的にはほとんど何も起こらない。手さえ握り合わない。だがセイと石和は、間違いなく惹かれ合っている。周囲の何人かも、確実にそのことに気がついている。気づきながら誰も言葉にしない。
独白も解説もなくそんな様子を描ききっている。もしも何かが起こってしまったら、とたんにつまらない小説になってしまったかもしれない。ひょっとしたら、すべての女性が一つは持っているに違いない秘密を、言葉少なに描ききっている。
キャベツ炒めに捧ぐ
主人公は、江子、摩津子、郁子の女性3人。皆ほぼ60歳で、理由は何であれ全員独身。東京の小さな町の商店街で、惣菜屋“ここ家”を3人で切り盛りしています。
各章には、料理や食材名のタイトルがつき、毎回3人のうちの1人が順繰りで主人公となり、過去と現在の出来事が交錯するように物語が進んでいきます。毎章いいエピソードが出てくるのですが、「芋版のあとに」は胸がきゅんとなるような話で、とくに印象に残りました。
惣菜屋にかぎらず家の中や野外など至る所で、様々な料理が、素材を変え、味付けを変えと登場し、常にいい匂いが行間から漂ってきます。(本の題名になっているキャベツ炒めは、ニンニクバターで炒め塩・黒胡椒で味付けと、読んでいるそばから作って食べたくなりました。)そして季節の移り変わりを、食材や時おり出てくる花で、うまく表現しています。
ありふれた日々の生活のなかに、喜怒哀楽がきちんと存在し、惣菜屋に配達にくる米屋の青年・進というエッセンスもあります。何気ない日常の描写なのに、不思議と面白く、また最後は、心に晴れ間がどんどん広がっていくような感じの終わり方で、よかったです。
正に、表紙の絵柄のように、ほんわかしてくる読後感でした。
静子の日常
75歳の可愛らしいおばあちゃん・静子さんは、ポジティブで行動的。
誰かのために何かをしてもでしゃばらず、見返りを求めない。
それどころか「私がしてあげたのよ」的な意識すらない・・・。
この年齢になれば私も人生の紆余曲折を味わって物事を達観できるようになっているでしょう。
その時に自分に残っているものが、こんな優しさとさりげなさだったらいいなぁ。
こんな年の取り方がしたいと思いました。
自分の思い通りにいかないことを拒絶したり、イヤイヤ思いながら妥協するよりは静子さんのように折り合いをつけてしまう方がいい。
がまんしなければならないなら、その環境でも楽しめる要素を自分で見つけてしまおう。
案外、このくらいのペースで生きる方がラクなのかもしれない。
ちっぽけだけど、これこそが私自身の人生。その愛おしさ・かけがえのなさをしみじみと感じさせてくれる本です。
ほっこりいい時間を過ごさせてもらいました。
ベーコン (集英社文庫)
今の自分がぴったりしっくり共感出来る短編集で、思った以上によかったです。いくつかの物語で、たんたんとした大人のわりきりが描かれていますが、これは自分がこの齢になってやっとわかることで、かなりぐさりときました。
今まで自分の心の動きと食べ物の相関関係を意識したことがなかったので、この小説をきっかけに、そういった断片で自分の人生をみてみるのも楽しそうだなと思いました。