戦争を知らない子供たち-北山修 作詩集(紙ジャケット仕様)
CD帯には1975年作となっているが1971年の間違いでしょう。オリジナルはダブルジャケだったが今回は再発時のシングルジャケ。多分一時休業前の集大成として出されたアルバムだと思います。名曲揃いです。ちなみに「白色は〜」、「花のように」、「さらば恋人」は朗読です。他のレコード会社ですから当時は当然のことだったのでしょう。でも今聞いてみるとサムのナレーションは味があってとても良い。最後のアマチュアの「戦争を知らない子供たち」。これも時代を感じるが前説のサムの言葉が今でも通じることがとても悲しい。団塊世代にはたまらない内容だが40歳の私でも十分楽しめる。25年以上前にこのレコードを新星堂本店で購入した時友達に「音楽の教科書みたいなアルバムだ」と言われたことを思い出した。
最後の授業――心をみる人たちへ
ミュージシャンでもあり、精神分析学の教授である北山修氏が、九州大学を退官する
際の「最後の授業」をまとめた本です。また、この授業はテレビクルーも入っており、
「第三者」に常に見られながら行われているのですが、それも踏まえて北山氏は講義を
します。その模様はつい先日放送されたようです。
最後の授業ですから、精神分析学を志す学生たちに向けて、今までに積み重ねてきた
精神分析家としての知恵や技術を熱く、そして平易な言葉で語っています。
たくさんトピックはあるのですが、中でも興味深かったのは、
人間は誰でも「表」と「裏」がありますが、
この仕事は人の「裏方」を受け止めること、だからそれを厳しく自覚すること。
安易に話したり、ましてインターネットやメールにそれをつづらないこと、など具体論も
次々に出ます。
また、精神分析が人間にとって普遍的な問題だととらえるために、
「鶴の恩返し」や「古事記」など物語や伝説を引用しつつ、そこに現れている問題の
分析を試みています。
内容は大変に濃く、まとまりきらないところもあるのですが、講義形式ですので
大変読みやすい本です。
帰れないヨッパライたちへ―生きるための深層心理学 (NHK出版新書 384)
嫉妬の感情をしっかりと見つめ、それをいかにコントロールするかの重要性を説くと同時に、日本独特の破壊的なまでに高まる嫉妬の起源を、長期間にわたる「添い寝」などによる濃厚するぎる母子関係に求め、日本の母親は子供に豊かな母親像というイリユージョンを与えるのは上手いと自惚れているけれど、二番目の子供が生まれた後などにその濃密な関係から身をひくのが下手で、そのために子供が傷つく、としています。
濃厚な母子関係の影響について、ここまで鋭く追求した本は、初めて読みました。《子どもは未熟であり、排泄をして臭く、生殖器もむき出しの丸裸の動物で、いわば裸の王様であるにもかかわらず、母親がそこに服を着せてくれて、世の中に人間であるかのように紹介してくれる。裸と文化的生活との橋渡し機能を果たすそうした第二者が信用できるからこそ、私たちは安心して、ここに生きていられる》と母親の役割をあっけらかんと書くとこうなるというところが素晴らしい(p.53)。しかし、家庭には父親がいます。西欧では父母と子どもの三角関係が最初から緊張しているのに対し、日本では巨大な母親の下での平等が強調される社会だ、というのが北山さんの見立てです(p.103)。日本の子どもは母親や祖母、叔母、姉なども含めて、母親的な存在との巨大なつながりの中で《内輪で成長していく子どもが多い》という指摘もなるほどな、と(p.131)。だから嫉妬の感情の処理が極端だ、というわけです。日本の物語で急激な幻滅が起こるのは、母親の二重性、裏切りに直面させられた時で、だから古くはイザナミが腐っていたというような神話も生まれている、と。
それは《幼い息子を甘やかしながら育てている母親が、同時に父親とも付き合い性的関係を持ち、どちらの側でも「寝ている」ので、裏表のある関係を持っている》ことに裏切りの感情を抱くようになるからだ、と(p.135)。
35歳バースデー・コンサート
現在の北山先生には大変失礼ですが、25歳のコンサートに比べ別人のようになられている。声も若々しく。(今の北山先生の声にも渋さがあっていいのですが。)まだまだ歌い続けてください。