連合赤軍「あさま山荘」事件―実戦「危機管理」 (文春文庫)
日本の高度成長も大詰めを迎え、国民が札幌の「日の丸飛行隊」の快挙に酔いしれていた頃、軽井沢の酷寒の山中で、腹背に敵を抱えて凶悪テロ犯に立ち向かった組織がありました。
爆発物処理班に、種馬に種付けをする技官の半分の危険手当しか支給されず、窒素凍結法も事務官・技官の対立で配備が進まない中、連合赤軍は警察官の家族に小包爆弾を送りつけて爆殺し、官邸・警察署の周辺に時限爆弾をばら撒きました。
左翼の弁護団は、説得する気もないのに警察に強訴し、警察から説得を許可する代わりに確認書に署名せよと言われると拒否し、警察は説得を拒否した「山狩り集団」だと喧伝しました。
マスコミは、警官に殉職が出れば「警備失敗」と書き立て、赤軍派に死者が出れば「過剰警備」と罵りました。部下の殉職に指揮官が涙を流せば「男が山中で泣いて女々しい」と書きました。
旧社会党の議員は事件後、連合赤軍はたった5人で「1400人」の警官と戦った、革命は近い、と喧伝したそうです。
警察は、こうした四面楚歌の状況下、本気で自分達を殺そうと思っているテロ集団に対し、彼らを一人も殺さないで逮捕するという、非常に困難な任務に直面したのです。
その結果警察官が得たものと言えば、同じ時間に同じ場所に詰めていた報道関係者の10分の1に過ぎない「超勤手当」と、叙勲という「名誉」だけでした。
「地球よりも重い」人の命を軽々しく扱うテロ集団に対し、その命を捧げて治安維持に奮闘したのは、まだ戦争を知っていた世代の、本書で紹介されなければ永遠に無名であったに違いない、警察官でした。
殉職された方々はもちろんのこと、苦しい警備に着いた方々、現場で陣頭指揮に当たられた方々、一人ひとりに敬意を表したく、本書に星5つをつけさせていただきます。
安全保障とは何か―脱・幻想の危機管理論 (平凡社新書 (004))
冷戦後の安全保障問題を幅広い見地から精緻に論じた本。安全保障とは、「国家規模での危機管理であり、常に最悪の状態を想定して備える」事との腰を据えた観点から冷静な論が披瀝される。
まず、危機管理を"Crisis Control(能動的)"と"Crisis Management(受動的)"とに別けて、読む者の眼を覚まさせる。危機が起こらないようにする管理と、起こってしまってからの管理である。共に必要だが、著者の見解では日本は後者に偏っていると言う。第一章では、冷戦後の世界情勢が非国家的活動(テロ、民族紛争etc.)の扱いの困難さを中心に幅広く語られる。軍事力だけではなく、食糧・資源の確保も安全保障の一部だと再認識させられる。第二章ではアジア・太平洋地域の安全保障が語られる。ただし、中国の軍事力に関しては、著者も"刊行年(1999年)においては"と断っているように、現在では本書に述べられているより遥かに近代化している点に注意する必要がある。第三章ではアメリカの世界戦略を中心に語られる。アジア地域におけるアメリカのプレゼンスの意味、在日米軍基地の問題等が明快に論じられる。第四書では日本の役割と軍事的能力について語られる。集団的自衛権の説明も明快で、憲法解釈など必要ない程だ。政争の具にしているのが如何に愚かか分かる。また、数字(当時)を挙げて、日本は世界第二の「軍事大国」に見えるが、「軍事大国」とは単なる数量ではなく、意図が問題だと述べる。「日本は何を考えているのか」を世界に発信する事が重要だと強調する。同感である。最終章では、近未来の予測として朝鮮半島・中台問題を中心に語られる。
冷戦後の多様な安全保障問題を、机上の問題(<幻想>)ではなく、豊富な事例と数字を基に徹底的に現実的視点から論じた良書。
わが上司 後藤田正晴―決断するペシミスト (文春文庫)
総理官邸の「危機管理」
と聞くとなんだか難しそうな内容のようなのですが、どんなことが起こって、どんな人がどんな行動をとったかを分かりやすく描写してあります。
三原山の噴火の際の避難誘導
若王子事件
金日成暗殺の誤報の顛末
東芝ココム違反事件
昭和天皇御不例
など、大事件の話がたくさん載っていてとても読み応えがありました。
後藤田正晴さんという上司の元で自分の能力を発揮した著者の楽しさが伝わってくる本です。
もし顔を見るのも嫌な人間が上司になったら―ビジネスマン危機管理術 (文春新書)
1997年、第一勧業銀行(当時)広報部次長として総会屋利益供与事件の収拾に奔走、「金融腐蝕列島」の改革四人組のモデルになり、2010年夏には日本振興銀行社長に就任して注目を集めた作家の「サラリーマン・サバイバル術」。
そもそも「肩たたきを強要された」とか「上司の不正に加担しろと言われた」とか「子どもが補導された」などという事件は大半のサラリーマンには無縁だろうし、いざその時に新書を読んだところで全てのケースに対応は不可能なわけだが、「もし自分にそういうことがふりかかったら…」と考えるきっかけにはなる。
特に最近はコンプライアンスやセクハラ・パワハラには敏感になっており、江上さんの時代のように「部下の女性ほとんどと関係した上司」「宴会で自分のはいていた靴下を入れたビールを飲ませる上司(!)」なぞありえない(大手銀行ってけっこう歪んでる)だろうが…
特にリストラに関して、自分の評価は他人より高いというが銀行の支店長であっても再就職は厳しい。職があればしがみつき、職を失ったらどんな仕事でもやる覚悟で生きよ、という言葉は身につまされる。
それなら許す!
ある意味、このタイトルで損をしているのかもしれない。
内容は、
「パターン別のダメな謝罪方法(実名)解説」
「謝罪を成功させるための必要条件」
「成功した希有な例」
となっている。
メインは、実名及び状況説明付きの実例解説。これだけでも、好奇心の強い(覗き見根性の強い?)人なら満足する内容だろう(それくらい面白い)。
しかし、本書の本質はそうではない。
詭弁術的な「許される方法」を教授するのではなく、不祥事が起こった場合、その状況にあった「最も適切な責任の取り方を基本にした、誠実な謝罪術」とは何か?を教えてくれる一冊である。
多くの凡例を読み、謝罪の必要条件(十分条件ではない)、判断基準の例などを読んでいくうちに、ある意味「男らしい」生き方(筋の通し方)を謝罪術の中に見出すだろう。それは企業のあり方、リーダーシップのあり方などにも及ぶと思う。
ある意味、「リスクマネジメントのため」として、企業のトップに読ませたいリーダーシップの本かもしれません。