エア・ギア(35) (講談社コミックス)
大暮維人『エア・ギア』は週刊少年マガジンで連載中の漫画である。空を飛ぶことも可能な特殊なシューズ「エア・トレック」を装着したライダー達の戦いを描く作品である。
『エア・ギア』には空を飛ぶ靴で疾走するという、空を飛ぶことへの憧れと、暴走族的な幼稚な衝動を具現化した要素がある。実際、エア・トレックを装着したライダー達のチームは暴走族ならぬ暴風族と呼ばれる。ヤンキー文化は日本の大衆文化の一要素になっているが、クール・ジャパンを損なう恥ずかしい要素である(林田力「勢いに乗る韓流(下)」PJニュース2010年11月12日)。しかし、『エア・ギア』の第35巻では、その種の恥ずかしい粗暴さに対抗する価値を提示した。
第35巻の前半はキリクを中心とした眠りの森(スリーピング・フォレスト)と武内空との戦いである。キリクは空の玉璽を武内空に向け発動する。悪役は武内空である。ひたすら高く飛ぶことを目指す武内空に対して、眠りの森は森という地に足ついた存在として対抗する。
後半は主人公南樹(イッキ)と武内空の戦いである。この戦いは軌道エレベーターの最上階から地上へ速く降りる競争である。空高く上ることではなく、地上に到達することに価値があることを暗示する。
昔から「馬鹿と煙は高いところに昇る」と言われるが、残念なことに世の中にはバカが多く、エンタメ作品は馬鹿を相手に成り立っている面がある。そのために空を飛ぶことを魅力的に描く作品も少なくない。しかし、馬鹿の価値観に迎合するだけでは芸がない。空を飛ぶことに価値があるように見せながら、実は上空よりも大地に価値を見出す作品もある。
たとえば宮崎駿のアニメ映画『天空の城ラピュタ』がある。ヒーローのパズーは天空に浮かぶ島ラピュタに憧れる少年である。彼は空への憧れというナイーブな人々を代表する。しかし、ヒロインのシータは「どんなに科学が発達しても、可哀想なロボット達を使っても人は土から離れたら生きていけない」と叫び、パズーもシータの決断に同調する。
林田力は東急不動産だまし売り裁判で不動産業者と戦い、景観や住環境を破壊する超高層マンション建設反対運動に共感する(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社)。そのような立場にとって『エア・ギア』や『天空の城ラピュタ』に見られる作品に隠された上空よりも大地に価値を見出す思想には大いに勇気付けられる。
エア・ギア(37)<完> (講談社コミックス)
自分はコミックス派なので最終巻はわくわくしながら読みました。
エアギアでは(他のバトル漫画でもそうですが)圧倒的に
ピンチ→チャンス!→ピンチ→チャンス!!→ピンチ→チャンス!!!!→・・・
が繰り返されていたように感じます。
単純ですが、それでも面白かったということはすごいことだなと思います。
そして何よりの10年間通しての圧倒的な画力、コミックス単体でひとつの画集に
なっているといっても過言ではないほどの緻密さ、ATなどのデザイン、変形機構。
感服です。
エクセレントモデル エア・ギア 野山野林檎
ポージングが腰を折り曲げているものなので前面の細部を見ることが難しいですが
髪の作りや小物など全体的な塗装や造形はよくできていると思います。
付属している台座への固定ですが、お尻の部分をかたどった
小さなパーツを台座に置いて更にその上にフィギュアを置くことで固定しますが
構造上「固定」というよりは「置く」と言ったほうがいいでしょう。
タボ接ぎでお尻に穴が開いてしまうよりは断然この方式で良いとは思いますが
パーツのかたどりが弱いため安定せずちょっと触ったり傾いたりすると
倒れてしまいますので注意を怠ると落として髪の部分が折れてしまうということも
十分想定できます。要注意です。
付属品にハンバーガーとポテトが乗ったトレーとメガネが
赤ぶちとクリアのふちの2種ついています。トレーの方はただ手に乗せて
髪の毛で支えるというものなのでこれも安定しませんので
ちゃんと水平なところに飾らないと持たせられません。
メガネのほうですがこれもかなりかけ難いです。
赤いほうは輪郭よりも若干小さいくらいなのでうまくはまれば
かけさせることができますが、クリアのものはかなり輪郭に対して
幅が小さく無理にかけようとして割れたという報告も聞きますので
かなり注意が必要でしょう。小さい部品ですので
失くしやすく、結局私はメガネを掛けさせていません。
耐久性が高いとはいえないので取り扱いには注意が必要です。