尾高忠明 商品

尾高忠明 NHK名曲アルバム オーストリア編 [DVD]

妊娠中の妹からのリクエストで購入。大きなお腹で海外旅行...なんてとても行けなかった彼女もこのDVDを見ては心安らぎ幸福なひと時を。心は音楽の都・オーストリア!疲れた時に癒される映像と音楽です。 NHK名曲アルバム オーストリア編 [DVD] 関連情報

尾高忠明 シベリウス:交響曲第4番・第5番

シベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の生誕150年にあたる2015年の完成を目指して着実に進められている尾高忠明(1947-)指揮、札幌交響楽団による交響曲全曲録音の第3弾。今回収録されたのは、以下の2曲。1) 交響曲 第4番 イ短調 op.632) 交響曲 第5番 変ホ長調 op.822014年及び2015年、札幌コンサートホールKitaraでライヴ収録されたもの。当シリーズをこれまでずっと聴かせていただいているが、今回も期待に違わない素晴らしい演奏だ。札幌交響楽団の淡い色合いを持った弦楽合奏のベースが、これらの楽曲の特徴に合致し、音響と旋律の相補的な関係が、とてもマッチしている。交響曲第4番は難渋さのある楽曲で、シベリウスの音楽を深く愛する人以外には、なかなか聴かれることは少ないと思う。しかし、最近になって、この曲の解釈は様々に深まっており、その進化を楽しめるようになってきた。当演奏は、室内楽的な緊密さをベースとしながらも、時に旋律の断片に情緒的な味わいを加えることで、とても中庸を得た解釈となっているだろう。ほの暗い響きのなかから、北国を思わせる情感に溢れた楽器の響きが届いたとき、胸をすっと清涼な風が吹き抜けたかのような、透明な残り香を置いていく。時折垣間見られる飛躍的な展開も、間合いが自然で、緊密な受け渡しがあり、そのことで全体の均衡性が確保される。時に散漫さにつながりかねない難しい楽曲だけに、当演奏の質の高さを感じさせてくれるところだ。交響曲第5番は逆に大らかな幸福感に満ちた音楽で、私も音楽を聴き始めたころから馴染んだ作品。この曲になると尾高の指揮も、より柔和な音響美にウェイトを移しており、豊饒で柔らかな金管の音色が広がっていくのを感じる。第1楽章のフィナーレ、それに第3楽章の解放感も自然賛歌的な大らかさに満ちていて、この曲になによりもふさわしい表現だと思う。その中間にある第2楽章の描写性のある素朴なニュアンスの交錯も、それぞれのフレーズが静謐さを持ちながらも暖かく行きかっていて、ぬくもりに溢れている。それにしても、聴いていて、なぜか「北国の音」という感じがするのは不思議である。特に木管の透明な旋律が鳴るとき、弦のグラデーションがやや暗い色彩で広がるときに、私は北国の音色を感じ、そう形容したくなる。当録音にはそんな瞬間があちこちにある。シベリウスと札幌交響楽団の間に、北国的なシンパシーが通ったように感じ、うれしくなった。 シベリウス:交響曲第4番・第5番 関連情報

尾高忠明 シベリウス:交響曲第1番 交響曲第3番

1987年にBBCウェールズ交響楽団首席指揮者に就任し、以後イギリスを中心に世界のオーケストラを指揮している尾高忠明(1947-)は、2004年から札幌交響楽団の音楽監督も務めている。すでにこのオーケストラとの録音もいくつかなされているが、2013年からは、いよいよシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の交響曲全集シリーズが開始されることとなった。その第1弾となった当盤は2013年2月に札幌コンサートホール Kitaraで収録されたもので、交響曲第1番と第3番が収録されている。尾高と札幌交響楽団の相性はきわめて良好に思われる。元来、やや暗めのソノリティを持つオーケストラであるが、尾高の端正な指揮ぶりは、オーケストラの個性とあいまって、楽曲の内省的な深みをこまやかに掬ってくれる。このオーケストラの発色を抑えた音色は、私にはいかにも北国の響きという感じがするし、尾高と札幌交響楽団が取り上げる作曲家として、シベリウスはいかにもふさわしい。シベリウスの交響曲の演奏にもいろいろある。一時はバーンスタイン(Leonard Bernstein 1918-1990)やカラヤン(Herbert von Karajan 1908-1989)のような情熱的な演奏に人気が集まったこともあったが、最近の主流は透明感に満ちた淡い抒情性を漂わせたもののように思う。そういった点で、当演奏も最近の主流に合致した演奏であるが、さらになお、深部に染み透るような風情をもった演奏である。枯葉が地面におち、じっくりと蓄えられて、土になっていくような、深まりを感じる響き。基本的にインテンポで、速すぎず遅すぎずの中庸のテンポ。必要なときに必要なだけのエネルギーを調達し、節度を持って開放する。しかし、過度に内向きになるわけではなく、時として、豪壮的とも言える金管のフォルテを引き出す。その効果によって、全体としてはシックな色合いでありながら、十分なメリハリが効いており、決して退屈するような演奏ではない。人によっては「安全運転に徹し過ぎ」と感じられる部分もあるかもしれないが、何度か聴くと、細やかな語りかけがあり、発見の喜びが随所にある。そういった機微にも応じた演奏となっていると思う。特に印象深かったのは、当盤を締めくくる第3交響曲終楽章である。後半からフィナーレにかけて、弦が繰り返すフレーズに木管、金管が添えられ、次第にその輪を壮大に広げていくのであるが、弦によって脈々と供給される推進力が、隅々まで行き渡り、終結に向けて巨大な渦を築き上げるようなスケール感が導かれている。以後の録音にも期待したい。 シベリウス:交響曲第1番 交響曲第3番 関連情報




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