身の上話 (光文社文庫)
「嘘」と「衝動」のために
人生を破滅させていく女と
その周辺人物の物語です。
恐ろしいのは、人生を破滅させていくのが
その主人公だけではなく
主人公に関わった、ほとんどの方々だから。
ある人に関しては主人公の恋人が現れたために
人生を狂わす行動をとらざるを得なくなりますし
ある人は、主人公の秘密に気づき、
人間ではなくなっていきます。
本当、この主人公、と言うものは
存在自体が迷惑そのものです。
そのくせ他人には秘密を守れと強要する。
身勝手なものです。
しかし、結局主人公は
その嘘によって手に入れた栄光のために
最後にはついに何もかもを失います。
そんな、無責任な女の話です。
ミステリー要素が絡みますが容易に想像できるので
それがらみとは言いがたく、中途半端です。
こういったいい加減な女がむかつく人は
絶対に読まないことです。
リボルバー [VHS]
鹿児島ロケが、リアルでとてもよろしい。
役者の皆さんも自然な感じでとてもグー。
いまわない鉄道の旅を満喫出来る。
最後のジュリーがタクシーの運転席で見せる
笑顔に渋さがあります。いいえいがですよぉ
小説の読み書き (岩波新書)
「書き手」としての小説家が、そうそうたる十二人の大家の作品の文章を切って見せます。
普通でない文章がそこにはあるからです。それを作者が分析してゆくのですが、実はそれがその作品の作者の意図であるようだということでしょう。
作家は、何度も推敲を重ねて本を世に出しているのですから、そこに間違いがあるとは考えにくいわけです。ですから、彼らは意図的にイレギュラーな文章で、その雰囲気を作品に与えようとしているということでしょう。
この逆が、芥川龍之介の「鼻」で、まさに玄人の文章で書かれているのですが、そこには「芥川」というロゴが入っていないというのです。
いずれにしても、三島由紀夫の作品には、「。。。のような」という直喩法が頻繁に使われているとか、林芙美子や幸田文の倒置法の話とか、ここに載せられている作品の多くは実際に私も読んでいるのですが、気がつきませんでした。
「書き手」というものは、そんなところに気が行くのかと驚くと同時に、「読み手」というのは、それを作品の雰囲気として読んでしまい、そんなことには気がつかないのだろうとも思いました。
違った視点からのエッセーで非常に面白く読むことが出来ましたが、これらの作品をもう一度読んで見たい誘惑にも駆られました。
ジャンプ [DVD]
ベストセラーになった佐藤正午の恋愛ミステリー小説の映画化。リンゴ(象徴的)を買いに行ってくると言って失踪した恋人を捜す男の御話。
急激なパラダイムの変化が起きたのか、それとも奥深いところで連関する前触れなのか。いわくありげに示唆されていく複雑な構造。しかし、
磁器の肌のように滑らかでもある。飾り気はない。わざとらしさも排除。率直な説得力と人情味。時の声を捉えてるが、そこに怒りの種も。。
ひとつの世界が終わりを告げたと、反射的に動いて単純化するか。新しい世界が始まったと、感性に直接触れたものを抽象化するか。
目に入るものと、目に入らないものとで組み合わさったパラドックス。ほかの何者でもないが水のように変わる形態。だので結局は、
拒絶もしないが支持もしないものに。そしてそれこそ原作者の魅力だろう。情熱的なのか嘲ってるのか。。
でもまあ、気取りたくなるときもあるよお。自然に張られる虚勢。でもワガママだからさ、過度に浮ついてしまったらね、お願いだから
嬉々とした支配ですくい取ってくれ。そんな風に言ってみた今日この頃。
「彼(フランツ・リスト)は何千人もの人に聴かせる様に弾くが、私はただ一人の人に聴かせるために弾く」と言ってしまったのはショパン。
「愛国心を持つなら地球に持て。魂を国家に管理させるな」と言ってしまったのはジミヘン。
「女に成ったあたしが売るのは自分だけで同情を欲した時に全てを失うだろう」と歌ってしまったのは林檎。
なんとなくこんなのが浮かんできた今日この頃。かっこいいのかどうなのか。。ふむ。。最高にウダウダしてしまってる今日この頃(笑)。