不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)
わたくし、わけあってロシア語の勉強を再開しました。米原さんの存在とお名前はずいぶん前から存じていましたが、共産党と井上ひさしの色を嫌って食わず嫌いが長く続きました。ロシア語も他の言語と同じように語学だけでなく文化に触れなければなりません。そこで「ガセネッタ&シモネッタ」(文春文庫)を入口に、店頭とアマゾンを通じて手に入るだけの米原本(文庫)を読み切って、どうしても本書について記したいと思い、たいへん後発のレビューを記しています。
"I love you"の和訳をめぐっては漱石が「月がきれいですね」と、二葉亭四迷が「死んでも可(い)いわ」と訳したと、2ちゃんねるなどでも昨今はしばしば触れられます。わたくしも漱石については全集も評論もずいぶん読んできました。「月がきれいですね」は都市伝説ではないかともいわれています。四迷については漠然と信じていました。ふつうに考えれば四迷が英語を訳すとは思えないのですが、その辺も米原さんが指摘する「英語至上主義」につながるわたくしの病でしょう。外国イコール英語であるはずがない。
四迷はツルゲーネフの何というロシア語の原文を「死んでも可(い)いわ」と訳したか。その答えが、米原さんと、編集部と、誤りを指摘した小樽市の読者福田さんの書簡によって327ページから描かれています。
正直なところ本書は他のくだけた米原エッセイよりずいぶん硬いです。途中でやめようとは思いませんでしたが読者を選びます。それでも、本文を読み終え、あとがき、解説をめくり、最後の最後に姿を現す327ページからの「編集部注」は、どうしても勧めないわけにはいきません(でもいきなりこの箇所を開くのではなく、本文を通しで読んでからにしてくださいね)。そして、編集部の熱意もさることながら、同時に、硬くても熟語が多くても、米原さんはそれでも(その叙述やコミュニケーションのスタイルにおいては)「貞淑な醜女」をみずからに課したのだとわかります。本書のエッセイは醜女では決してありません。
国際理解や日本語論の糸口としてもすばらしい1冊です。
"I love you"の和訳をめぐっては漱石が「月がきれいですね」と、二葉亭四迷が「死んでも可(い)いわ」と訳したと、2ちゃんねるなどでも昨今はしばしば触れられます。わたくしも漱石については全集も評論もずいぶん読んできました。「月がきれいですね」は都市伝説ではないかともいわれています。四迷については漠然と信じていました。ふつうに考えれば四迷が英語を訳すとは思えないのですが、その辺も米原さんが指摘する「英語至上主義」につながるわたくしの病でしょう。外国イコール英語であるはずがない。
四迷はツルゲーネフの何というロシア語の原文を「死んでも可(い)いわ」と訳したか。その答えが、米原さんと、編集部と、誤りを指摘した小樽市の読者福田さんの書簡によって327ページから描かれています。
正直なところ本書は他のくだけた米原エッセイよりずいぶん硬いです。途中でやめようとは思いませんでしたが読者を選びます。それでも、本文を読み終え、あとがき、解説をめくり、最後の最後に姿を現す327ページからの「編集部注」は、どうしても勧めないわけにはいきません(でもいきなりこの箇所を開くのではなく、本文を通しで読んでからにしてくださいね)。そして、編集部の熱意もさることながら、同時に、硬くても熟語が多くても、米原さんはそれでも(その叙述やコミュニケーションのスタイルにおいては)「貞淑な醜女」をみずからに課したのだとわかります。本書のエッセイは醜女では決してありません。
国際理解や日本語論の糸口としてもすばらしい1冊です。
旅行者の朝食 (文春文庫)
食エッセイに目がない自分としては、タイトルだけでとりあえず購入した本ですが、いやはや何とも、世界各国の食文化(特に東欧圏)に触れ、その背景に触れ、尚かつすいすいと読ませながらも、食欲をそそる内容は、最近買った本の中では久々の大ヒットです。
特にトルコ蜜飴のくだりは、思わずそこら辺にいる人を捕まえて、『ほら、これ食べたくない?』と読ませて回るほど。
いや、食好きの人は、何が何でもお読み下さい。
特にトルコ蜜飴のくだりは、思わずそこら辺にいる人を捕まえて、『ほら、これ食べたくない?』と読ませて回るほど。
いや、食好きの人は、何が何でもお読み下さい。