東京五輪1964
日本で2度目のオリンピック開催に出会えるという喜びを感じながら本書を読了しました。
1964年の東京オリンピックを語るに相応しい15人を訪ねて話を聞いてまとめて書籍でした。半世紀前のエピソードですが、臨場感をもってどれも伝わってきます。
冒頭は、「聖火を灯した最終ランナー」の坂井義則さんでした。あの晴天の元、聖火台にむかって駆け上がったランナーは早稲田大の1年生だったのを初めて知りました。五輪代表に選ばれるかもしれないランナー(1966年アジア大会の400mの銀メダリスト)だったわけで、何も知らずに聖火ランナーに拍手していたわけです。
ニュースやその後の記録映画か芸術映画かという論争を巻き起こした市川崑監督の「東京オリンピック」を見て、聖火がともる瞬間はよく覚えていますが、その聖火ランナーの思いを半世紀経って知ることができました。
ホッケーの予選で活躍した日本選手達や、圧倒的に強かった重量挙げの三宅義信さんの逸話など、心情移入しやすく書かれていますので、まるで半世紀前のオリンピック会場に舞い降りたかのような雰囲気を感じながら読み進めることができます。
三宅選手は、メキシコでも金メダルを取るわけで、1960年のローマ五輪の銀メダル、1972年のミュンヘンの4位という4大会で輝かしい偉業を成し遂げています。ここまで強い日本選手の話は知っているつもりでしたが、圧巻のエピソードの連続でした。
ラストのライバルであり友人だった外国選手との邂逅の瞬間は共に戦った選手の絆を感じましたし、友情の深さを垣間見ました。
「サッカー代表の大番狂わせ」は一番興味深く読みました。小城得達、宮本輝紀、杉山隆一という名選手たちの名前を再び見たわけで、懐かしさが募ります。
監督は長沼健で、コーチが岡野俊一郎でした。日本サッカー協会歴代会長の若き日の姿でした。そして「釜本(邦茂)がゴール前にクロスを通し、川淵三郎がダイビングヘッドで同点ゴールをたたき込んだ。」わけで、まさしくその後の日本サッカー界を育てた人達の活躍がそこにありました。アルゼンチンに勝ったこの試合はまさしく「まるで『金』の喜び」に値する物でした。
レスリングの八田一朗会長、100mのボブ・ヘイズとスターターの阿吽の呼吸の話、水泳の田中聰子など、魅力的な逸話の連続でした。往時を知る人は是非お読みください。
1964年の東京オリンピックを語るに相応しい15人を訪ねて話を聞いてまとめて書籍でした。半世紀前のエピソードですが、臨場感をもってどれも伝わってきます。
冒頭は、「聖火を灯した最終ランナー」の坂井義則さんでした。あの晴天の元、聖火台にむかって駆け上がったランナーは早稲田大の1年生だったのを初めて知りました。五輪代表に選ばれるかもしれないランナー(1966年アジア大会の400mの銀メダリスト)だったわけで、何も知らずに聖火ランナーに拍手していたわけです。
ニュースやその後の記録映画か芸術映画かという論争を巻き起こした市川崑監督の「東京オリンピック」を見て、聖火がともる瞬間はよく覚えていますが、その聖火ランナーの思いを半世紀経って知ることができました。
ホッケーの予選で活躍した日本選手達や、圧倒的に強かった重量挙げの三宅義信さんの逸話など、心情移入しやすく書かれていますので、まるで半世紀前のオリンピック会場に舞い降りたかのような雰囲気を感じながら読み進めることができます。
三宅選手は、メキシコでも金メダルを取るわけで、1960年のローマ五輪の銀メダル、1972年のミュンヘンの4位という4大会で輝かしい偉業を成し遂げています。ここまで強い日本選手の話は知っているつもりでしたが、圧巻のエピソードの連続でした。
ラストのライバルであり友人だった外国選手との邂逅の瞬間は共に戦った選手の絆を感じましたし、友情の深さを垣間見ました。
「サッカー代表の大番狂わせ」は一番興味深く読みました。小城得達、宮本輝紀、杉山隆一という名選手たちの名前を再び見たわけで、懐かしさが募ります。
監督は長沼健で、コーチが岡野俊一郎でした。日本サッカー協会歴代会長の若き日の姿でした。そして「釜本(邦茂)がゴール前にクロスを通し、川淵三郎がダイビングヘッドで同点ゴールをたたき込んだ。」わけで、まさしくその後の日本サッカー界を育てた人達の活躍がそこにありました。アルゼンチンに勝ったこの試合はまさしく「まるで『金』の喜び」に値する物でした。
レスリングの八田一朗会長、100mのボブ・ヘイズとスターターの阿吽の呼吸の話、水泳の田中聰子など、魅力的な逸話の連続でした。往時を知る人は是非お読みください。
ヘーシンクを育てた男
柔道に詳しくなくとも、へーシングという名前を聞いたことがある人は多いのでは?世界で始めて外国人で柔道選手権で優勝した男だ。
後半部分でその師道上氏との出逢いから稽古、試合と実に詳しく書かれている。前半部分は道上氏の半生が日本柔道史とともに記されている。
余談ではあるがシドニー五輪で篠原氏が誤審判にて敗れてしまったが、
過去、日本の審判もかなり日本有利の審判を繰り返していたことが分かり、因果応報をここでも思い知った。なぜ、へーシングが日本柔道に勝ったのか?その答えがこの本に書かれている。
後半部分でその師道上氏との出逢いから稽古、試合と実に詳しく書かれている。前半部分は道上氏の半生が日本柔道史とともに記されている。
余談ではあるがシドニー五輪で篠原氏が誤審判にて敗れてしまったが、
過去、日本の審判もかなり日本有利の審判を繰り返していたことが分かり、因果応報をここでも思い知った。なぜ、へーシングが日本柔道に勝ったのか?その答えがこの本に書かれている。