始皇帝陵と兵馬俑 (講談社学術文庫)
始皇帝は司馬遷の史記によって悪の権化のように伝えられそう信じられてきたが、本当のところは良く分からない。最近はチャンイーモウのHEROにあるように極端に美化されたりと実像がつかみにくい存在だが、その陵墓と俑から解き明かされる姿はまた別のものだ。今まで兵馬俑をただたくさんの陶製の人形位にしか考えていなかったわけだがそのスリリングな発掘史から解き明かされたものは古代史の面白さの醍醐味だといえる。また馬鹿の故事で知られる二世皇帝がこの陵墓建設で果たした役割の大きさからも中国古代史はもう一度書き直されるべきだろう。それは決して漢帝国の官僚だった司馬遷の目によっていがめられたものとはずっと違ったものなはずだ。
感銘深い点は今なお始皇帝の墓自体はまだおそらく誰にも暴かれておらず(地下30mのところに眠っている)そしてそれを発掘するのは現代の考古学者の仕事ではないと彼らが信じていることだ。彼らはまだなお堀尽くされていない兵馬俑を地下から現代へよみがえらせることが彼らの使命だと理解し、それがなされてから陵墓の発掘が始まると考えている。つまり自分たちの生きている時間の間にそれを見ることはできない。それは後世の仕事であり彼らは自分たちの仕事をこれから来る者たちのためになされているものだと。兵馬俑は毎日掘り進められているが全貌が明かされるのはまだまだ遠い先のこと。兵馬俑が中国人の学者たちにとってそんな存在であるということを知ることができたのは幸いだった。
感銘深い点は今なお始皇帝の墓自体はまだおそらく誰にも暴かれておらず(地下30mのところに眠っている)そしてそれを発掘するのは現代の考古学者の仕事ではないと彼らが信じていることだ。彼らはまだなお堀尽くされていない兵馬俑を地下から現代へよみがえらせることが彼らの使命だと理解し、それがなされてから陵墓の発掘が始まると考えている。つまり自分たちの生きている時間の間にそれを見ることはできない。それは後世の仕事であり彼らは自分たちの仕事をこれから来る者たちのためになされているものだと。兵馬俑は毎日掘り進められているが全貌が明かされるのはまだまだ遠い先のこと。兵馬俑が中国人の学者たちにとってそんな存在であるということを知ることができたのは幸いだった。