夜の果てまで (角川文庫)
失踪より7年を経て提出された「失踪宣告申立書」、この始まり方がいい。無機質に淡々と事実を語る文面は、どこかミステリアスな事件性と展開を読者に匂わせる。
しかし次第に作中で紐解かれて行く真実は、現実と非現実の間をさまよう、妖艶だが青臭い、ある男と女の愛の行程であった。
この作品の魔力は、その極めてリアリスティックな表現だ。
五感の記憶を事細かに呼び起こすような表現の数々。固有名詞、手触り、音、匂い、湿度…読者の目線とこの男女を冷静に見つめる「誰か」の目線が混線し、現実とかけ離れた現実を見ているような、変な錯覚を覚える。
ありふれた日常に居ながらにして、この物語の非日常性に私たちは知らず知らずに取りこまれているのだ。
まさに「日常」の象徴とも言える、真面目で優秀な北大生の主人公・俊介。「学生」の良くも悪くも青い生活から、卒業・就職を控え一皮脱皮しようとしている時期に、不倫の恋に陥り、さらに大きな人生の転機を迎えることになる。
人が本当に一皮剥ける時。そのきっかけは仕事や別れかもしれないし、俊介のように、愛によるかもしれない。その代償には、大きな諦めと決断が必要とされることを伝えているようだ。しかし「生きる」ことが秘めるエネルギーの無限の迫力をそこに感じられる。きっとそれは誰もが感じられているものではないのだろう。だから「非日常」なのかも知れない。
ただ何となくの人生を歩むか、決断して一歩を踏み出すか。人が成長する、脱皮の瞬間をこの主人公、そして彼を取り巻く人々の関係を通して体感することができた。
私も主人公の如く、転機を前にした青い学生だ。学生のみならず、今一皮剥けたいと望む若い人に是非読んで欲しい一冊。
しかし次第に作中で紐解かれて行く真実は、現実と非現実の間をさまよう、妖艶だが青臭い、ある男と女の愛の行程であった。
この作品の魔力は、その極めてリアリスティックな表現だ。
五感の記憶を事細かに呼び起こすような表現の数々。固有名詞、手触り、音、匂い、湿度…読者の目線とこの男女を冷静に見つめる「誰か」の目線が混線し、現実とかけ離れた現実を見ているような、変な錯覚を覚える。
ありふれた日常に居ながらにして、この物語の非日常性に私たちは知らず知らずに取りこまれているのだ。
まさに「日常」の象徴とも言える、真面目で優秀な北大生の主人公・俊介。「学生」の良くも悪くも青い生活から、卒業・就職を控え一皮脱皮しようとしている時期に、不倫の恋に陥り、さらに大きな人生の転機を迎えることになる。
人が本当に一皮剥ける時。そのきっかけは仕事や別れかもしれないし、俊介のように、愛によるかもしれない。その代償には、大きな諦めと決断が必要とされることを伝えているようだ。しかし「生きる」ことが秘めるエネルギーの無限の迫力をそこに感じられる。きっとそれは誰もが感じられているものではないのだろう。だから「非日常」なのかも知れない。
ただ何となくの人生を歩むか、決断して一歩を踏み出すか。人が成長する、脱皮の瞬間をこの主人公、そして彼を取り巻く人々の関係を通して体感することができた。
私も主人公の如く、転機を前にした青い学生だ。学生のみならず、今一皮剥けたいと望む若い人に是非読んで欲しい一冊。
身も心も (光文社文庫)
妻に脳梗塞で先立たれ生きがいを亡くした75歳の礼二郎が息子夫婦に薦められた絵画教室で自分とは不釣り合いな魅力を持つ64歳の女性幸子(妻の享年と同じ)と出会い、晩年の恋をし、互いに初めて慈しみの愛を知る心と魂の邂逅の物語。
幸子を慈しみ愛する中で、生前の素直な妻に対し自分はただ偉そうに接するだけで慈しむことのない夫であった事を悟り、深く懺悔する礼二郎に対し、子供の頃から深い影を心に抱き続けずっと独り身だった幸子は礼二郎と出会い、与える幸せが与えられる幸せでもある境地に至ります。
絵画教室で幸子をモデルに素人の礼二郎が描いたモディリアーニを思わせる絵に、幸子は本当の自分の心を垣間見るのですが、言葉を交わす前から絵画芸術を通して二人の魂は触れ合っていたと感じました。読み手の来し方や感じ方により様々な読み方ができる奥行きと幅のある大人の小説です。
個人的には本当の慈しみの愛を知るにはただ夫婦生活を長く続けるだけでは難しく、しかし、その過程を経なければそこに辿り着けないということと、人生には偶然でなく神羅万象に連なる必然の出会いがあるということを深く考えさせられました。
小説には「書きどき」と「読みどき」があることを盛田さんから教えて頂きましたが、幸子の年齢の親を持つ年代の方は「読みどき」かもしれません。『いまここ』の一秒一分が命と同じ輝きを放っているという深淵な気づき(真理)を心で感じられるのではないでしょうか。
幸子を慈しみ愛する中で、生前の素直な妻に対し自分はただ偉そうに接するだけで慈しむことのない夫であった事を悟り、深く懺悔する礼二郎に対し、子供の頃から深い影を心に抱き続けずっと独り身だった幸子は礼二郎と出会い、与える幸せが与えられる幸せでもある境地に至ります。
絵画教室で幸子をモデルに素人の礼二郎が描いたモディリアーニを思わせる絵に、幸子は本当の自分の心を垣間見るのですが、言葉を交わす前から絵画芸術を通して二人の魂は触れ合っていたと感じました。読み手の来し方や感じ方により様々な読み方ができる奥行きと幅のある大人の小説です。
個人的には本当の慈しみの愛を知るにはただ夫婦生活を長く続けるだけでは難しく、しかし、その過程を経なければそこに辿り着けないということと、人生には偶然でなく神羅万象に連なる必然の出会いがあるということを深く考えさせられました。
小説には「書きどき」と「読みどき」があることを盛田さんから教えて頂きましたが、幸子の年齢の親を持つ年代の方は「読みどき」かもしれません。『いまここ』の一秒一分が命と同じ輝きを放っているという深淵な気づき(真理)を心で感じられるのではないでしょうか。