Gゼロという、グローバルリーダーシップという課題を引き受けられる国や国家連合がどこにも存在しない世界では、グローバルシステムに生じる変化によって、前例のないほど多くの国や政府が独自のルールでゲームを行うようになる。この世界ではG7はもとより、G20も機能しないと著者は主張する。
世界の中心的存在であった米国は、自国内に抱える課題(格差、連邦債務、財政赤字、福祉、テロの脅威など)からリーダーシップを担うコストを払えなくなりつつある。国民の間でも、外交より自国のことに専念するべきとの声が高まりつつある。
その中で、著者は次のテーマについて問いかける
・リーダー不在の世界で米中は互恵的なパートナーシップを築けるか。
・ポストGゼロ語、米中は新たな自信を得ているか。
・ヨーロッパ諸国はその中核を再建できるか。
・現新興国のうち、完全な発展を遂げられるか。
・世界的な経済と安全保障のメルトダウンは進んでいるか。
本書では、これらを中心に世界の各地域における現状と今後を考察しており、興味がある方には非常に面白い内容だと思う。
本書を読んで自身は以下のようなことを考えた。
・Gゼロの背景には、グローバル化による新興国の経済発展にともなう国力(GDPや経済力)の増大があり、それは成熟した先進国が新たな市場を求めて新興国を開拓した結果であるとすれば、経済のボーダレス化がGゼロ世界を生み出したという見方もできる。ある国が経済的に発展すれば、(軍事力も含めて)当然にその国のプレゼンスは高まることになり、特定の国がリーダーを務める構図は薄れてくるのは自然の成り行きとも言える。
・一方、このように(資本主義)経済の流れは、国家の政治的枠組みとはかけ離れ、かつ加速度的に世界をかけ巡っており、国家の政治面での建前と経済面での本音のギャップはますます広がっていくと考える。
・しかし、個人的には特定の国が覇権を握るような世界よりも、Gゼロのような規模の国々や地域が、今後の世界の秩序を喧々諤々議論しながら模索していく方が、(意思決定のプロセスははるかに複雑になろうが)、よりよい世界になっていくという希望を持ちたい。あまりにも楽観的すぎるだろうか。
・政治家をはじめとする国のリーダー達は、世界的の中でのリーダーシップやプレゼンスを高めたいと考えるのは当然だ、経済活動はそれとはまた異なる理論で動いているところが大きい。(「政冷経熱」などという言葉もあるが)
したがって、例えば中国のリーダー達が世界の覇権を握ろうと身勝手な行動や論理を主張したとしても、国境のない(資本主義)経済活動からの抵抗や反発を受けることになり、それはやがて国力に跳ね返ってくることになる。(実際、近年では経済面において中国リスクの懸念が高まりつつある。)
・こうした中で、ポストGゼロの世界はどうなっていくのか。個人的にはブロック「経済」を主体とした国家(あるいは地域)のつながりが強まると考える。すなわち、EU圏、ASEAN・豪州圏、
ロシアを中心とするユーラシア連合圏、アメリカ大陸圏、中東圏のようなものが形成され、そこにインドや中国といった新興大国、アフリカなどがどのように関与してくるのか、そして日本はどのような立ち位置をとるのか。
本書を読みながら妄想にふけってみた。