銀幕おもいで話 (双葉文庫)
著者の高岩淡さんは、1930年11/13福岡県生まれ、九州大学卒業後、1954年東映に入社、京都撮影所所長、東映社長、会長 等を歴任、そして、2012年に退くまで58年間映画に人生をささげてこられました。
その長い長い映画生活の中で出会った大スターたち、萬屋錦之介、鶴田浩二、高倉健、仲代達矢、藤純子、松坂慶子、夏目雅子、吉永小百合・・・・本書はそんな大スターにまつわる高岩さんの思い出をまとめた本です。
全体は、 第1章:高倉健 − 義理と人情 第2章:萬屋錦之介 − 純真すぎたスター 第3章:鶴田浩二 − 演技を超えた演技
第4章:藤純子 − 確執と絆 第5章:深作欣二 − 破天荒な時代 第6章:松坂慶子 − 情熱の女 第7章:仲代達矢 − 究極の役者魂 に分かれています。
そして、タイトルにあげられている人だけでなく、それに絡む色んな映画人についても記されています。
映画「あなたへ」に見られる著者と健さんの友情、美空ひばりと錦之介の秘められた恋(なんといってもひばりの後ろ盾は田岡一雄ですからね!)、鶴田浩二と佐久間良子の秘められた恋
深作欣二と松坂慶子の秘められた恋(これは別に秘められた恋ではないか?)
仁義なき戦いで金子信雄が演じた狡猾で嫌味な組長の役は、当初三国連太郎が予定されていましたが、岡田社長の鶴の一声で金子さんに決まったそうです・・どんな鶴の一声だって?それは本書を読んでください。
市川歌右衛門は、息子の北大路欣也のことを「あいつは一生かかっても俺のようになれんわ」といつも言っていたそうです・・・・結果はどうだったのかな?
また、仁義なき戦いのモデルとなった美能幸三さんとは亡くなられるまでお付き合いが続いていたそうです。
その他、太秦映画村誕生秘話・・・・・
著者の高岩さんは、東映の会長まで勤められた方なので、その立場上書きたいことも書けず、きっとつまらない本だろうなと思っていましたが、その予想は見事はずれてしましました。
暴露話的なこともありますし(ただし、立場上それなりの配慮はされています)、秘話は満載ですし、意に反し、面白く読ませていただきました。
映画好き、特に東映の映画で育った人たち(私もそうです)には広くお勧めします!!!
その長い長い映画生活の中で出会った大スターたち、萬屋錦之介、鶴田浩二、高倉健、仲代達矢、藤純子、松坂慶子、夏目雅子、吉永小百合・・・・本書はそんな大スターにまつわる高岩さんの思い出をまとめた本です。
全体は、 第1章:高倉健 − 義理と人情 第2章:萬屋錦之介 − 純真すぎたスター 第3章:鶴田浩二 − 演技を超えた演技
第4章:藤純子 − 確執と絆 第5章:深作欣二 − 破天荒な時代 第6章:松坂慶子 − 情熱の女 第7章:仲代達矢 − 究極の役者魂 に分かれています。
そして、タイトルにあげられている人だけでなく、それに絡む色んな映画人についても記されています。
映画「あなたへ」に見られる著者と健さんの友情、美空ひばりと錦之介の秘められた恋(なんといってもひばりの後ろ盾は田岡一雄ですからね!)、鶴田浩二と佐久間良子の秘められた恋
深作欣二と松坂慶子の秘められた恋(これは別に秘められた恋ではないか?)
仁義なき戦いで金子信雄が演じた狡猾で嫌味な組長の役は、当初三国連太郎が予定されていましたが、岡田社長の鶴の一声で金子さんに決まったそうです・・どんな鶴の一声だって?それは本書を読んでください。
市川歌右衛門は、息子の北大路欣也のことを「あいつは一生かかっても俺のようになれんわ」といつも言っていたそうです・・・・結果はどうだったのかな?
また、仁義なき戦いのモデルとなった美能幸三さんとは亡くなられるまでお付き合いが続いていたそうです。
その他、太秦映画村誕生秘話・・・・・
著者の高岩さんは、東映の会長まで勤められた方なので、その立場上書きたいことも書けず、きっとつまらない本だろうなと思っていましたが、その予想は見事はずれてしましました。
暴露話的なこともありますし(ただし、立場上それなりの配慮はされています)、秘話は満載ですし、意に反し、面白く読ませていただきました。
映画好き、特に東映の映画で育った人たち(私もそうです)には広くお勧めします!!!
あかんやつら 東映京都撮影所血風録
“ 東映京都撮影所 ”
東映京都撮影所というと太秦映画村をイメージする人が多いと思います。おそらく世間一般では時代劇のアミューズメント施設のイメージが強い(もしくは通り名がよい)でしょう。
かつて1960年代の時代劇全盛の映画黄金期やその後も『水戸黄門』『遠山の金さん』『暴れん坊将軍』といったテレビ時代劇がここで作られていたのだが、近年は2011年放送の『水戸黄門』を最後に時代劇そのものがテレビで放送される事がなくなってしまった。最近でもNHKの大河ドラマを除けば特番でしか作られる事がないのが現状である。
本書は『天才 勝新太郎』の著者で現在映画史・時代劇研究の若手ホープ(春日氏自体まだ30代の若さなので同世代ではまちがいなく第一人者)である春日太一氏が十年に及ぶ取材のなかで65年以上の歴史と伝統を誇るこの東映京都撮影所の世界を描いたドキュメント、すなわち“ 実録『東映京都撮影所』 ”(以下、京撮)の物語である。これを読むと東映京都撮影所の歴史がわかります。一読して結構とんでもない挿話が数多く登場しますがまちがいなくこれはノンフィクションです。
まず、序幕の挿話として「小指のない門番」と称している京撮の門番人について描かれていますが、実際その方には小指がなく、なんと全身総刺青が施してあるという(理由については本書を読んで頂くとして)そのような人が門番(警備員)をする東映京都撮影所って一体どんな世界なんだと思われるでしょうが、ズバリとんでもない世界です(メディアではとてもじゃないが紹介できません!)。ある意味、この門番が京撮を象徴した姿ともいえます。
京撮誕生についてもその経緯がいかに大変であったかがよくわかります。時代は戦後まもない終戦から数年しか経過していない――まだ日本中にモノがなく、焼け野原があちこちでみられていた時代――そんな状況下で現れたマキノ光雄氏!(父が『日本映画の父』といわれる映画監督・牧野省三で光雄氏は第六子(次男)、その上には後に映画界を代表する監督・マキノ雅弘(第五子・長男)、甥っ子には日本を代表する俳優・長門裕之、津川雅彦兄弟がいる) 今日の京撮を作り上げた立役者である事が本書を読んでよくわかる。とにかくギリギリの状態から京撮誕生に実現させたマキノ光雄氏の奔走ぶりはぜひ一読されたし。
その後の京撮(東映)の顔として幅を利かせる怪物プロデューサー・岡田茂氏の挿話がすさまじく京撮(東映)の歴史を語る上ではこの御大の存在を決して外す事はできない!
京撮というのは他の撮影所とは違ってどちらかといえばならず者・荒くれ者の集まりのような場所なんです。岡田氏という人は東大出のエリートであるにもかかわらず、大きな体'とガラの悪い広島弁でそうした叩き上げの荒くれ者相手にも一歩もひかず、押しが強く、何を隠そう広島時代に柔道の主将を鳴らしてなおかつ喧嘩の達人という本宮ひろ志の漫画に出てきそうなイメージをそのままにした凄まじい人なんです。だからこそ京撮の水にあってそのトップに上り詰める事ができたんだと思います。
時代劇全盛の時に東映が頂点にたって王者の驕りから徐々に衰退していくなかで次の模索をうっていく様子もよく描かれていて、『十三人の刺客』『大殺陣』に代表される東映集団時代劇の誕生と撮影の裏話(特に『大殺陣』の挿話では納期を遅らせてはならない理由から役者たちの殺陣にムチャさせているのが凄まじい)!
時代劇が終焉に向かうにつれて次の手としてうったのが任侠映画後に意味東映の代名詞ともいえる事となった
よく東映が他社で描かれるヤクザ映画よりもリアルだといわれているが、それもそのはず本職を招いて作法を教えてもらっていたり(今でいうテクニカルアドバイザー)、銃の扱いについては警察から許可を持って本物を使用したり、今では考えられない事が京撮ではまかり通っていたという(その象徴が高倉健主演の映画『山口組三代目』だろう)まさに治外法権ともいえる場所がこの東映京都撮影所だったともいえる(本当にメディアでは放送できないような挿話が目白押しであるがNHKではまずやってくれないだろうなあ)。
任侠映画の挿話でも特筆なのは、俳優・若山富三郎氏が現実と映画の見境をなくして撮影所で組を構えた挿話(注:実話だそうです)には爆笑し、後に『ブラック・レイン』にヤクザの親分役で出演された時も周りの付き人を従えて現れた若山氏を見て監督のリドリー・スコットが「若山は撮影以外の時からすでに役作りに入っているのか」と感心されたそうです。
そしてヤクザ映画の金字塔ともいえる傑作『仁義なき戦い』の挿話(これは散々語られているので割愛!)
ただ『仁義』以降、実録モノが衰退していき、やがては1980年代に入って映画の客層に変化が見られるにつれ(ここから女性や若者の客層が増えてきた)、東映でも女性層を意識した『鬼龍院花子の生涯』に代表される女性文芸路線で持ち直すも著者がよく描いているのはその一方でその路線のヒットにより映画評や識者たちから高い評価を受けた事で作り手たちも「格調の高さ」様式美を意識し出した反面、かつてのような荒々しさ(不良性感度)が成りを潜めだした事を上げられており、確かにこの頃のヤクザ映画を見ても『極道の妻たち』のようなヒット作はあるものの全体的におとなしくなってしまった印象が歪めない。
また、京撮でも若いスタッフを採用しなくなった事から京撮自身の寿命を縮めていく結果となった事も上げており、必然と時代に取り残されている様子が寂しい。いつの時代も若手が突き上げてきて時代の価値観を変化させていくのに京撮だけはそれを行う事ができなかったため今日のような低迷状態が続いている理由がよくわかる。
時代劇というジャンルが衰退している理由も現在の京撮の低迷ぶりとの関係は否定できないし、現に時代劇の殺陣や作法を受け継ぐ事ができず、このままでは時代劇の所作を知らない人たちが時代劇を作るという自体が現に今起こっているので何とかこの伝統と作法は受け継いでもらいたいものだ。時代劇は日本人にしか出来ない“宝”なのだから(『47RONIN』を観てもわかるでしょ!)
東映京都撮影所というと太秦映画村をイメージする人が多いと思います。おそらく世間一般では時代劇のアミューズメント施設のイメージが強い(もしくは通り名がよい)でしょう。
かつて1960年代の時代劇全盛の映画黄金期やその後も『水戸黄門』『遠山の金さん』『暴れん坊将軍』といったテレビ時代劇がここで作られていたのだが、近年は2011年放送の『水戸黄門』を最後に時代劇そのものがテレビで放送される事がなくなってしまった。最近でもNHKの大河ドラマを除けば特番でしか作られる事がないのが現状である。
本書は『天才 勝新太郎』の著者で現在映画史・時代劇研究の若手ホープ(春日氏自体まだ30代の若さなので同世代ではまちがいなく第一人者)である春日太一氏が十年に及ぶ取材のなかで65年以上の歴史と伝統を誇るこの東映京都撮影所の世界を描いたドキュメント、すなわち“ 実録『東映京都撮影所』 ”(以下、京撮)の物語である。これを読むと東映京都撮影所の歴史がわかります。一読して結構とんでもない挿話が数多く登場しますがまちがいなくこれはノンフィクションです。
まず、序幕の挿話として「小指のない門番」と称している京撮の門番人について描かれていますが、実際その方には小指がなく、なんと全身総刺青が施してあるという(理由については本書を読んで頂くとして)そのような人が門番(警備員)をする東映京都撮影所って一体どんな世界なんだと思われるでしょうが、ズバリとんでもない世界です(メディアではとてもじゃないが紹介できません!)。ある意味、この門番が京撮を象徴した姿ともいえます。
京撮誕生についてもその経緯がいかに大変であったかがよくわかります。時代は戦後まもない終戦から数年しか経過していない――まだ日本中にモノがなく、焼け野原があちこちでみられていた時代――そんな状況下で現れたマキノ光雄氏!(父が『日本映画の父』といわれる映画監督・牧野省三で光雄氏は第六子(次男)、その上には後に映画界を代表する監督・マキノ雅弘(第五子・長男)、甥っ子には日本を代表する俳優・長門裕之、津川雅彦兄弟がいる) 今日の京撮を作り上げた立役者である事が本書を読んでよくわかる。とにかくギリギリの状態から京撮誕生に実現させたマキノ光雄氏の奔走ぶりはぜひ一読されたし。
その後の京撮(東映)の顔として幅を利かせる怪物プロデューサー・岡田茂氏の挿話がすさまじく京撮(東映)の歴史を語る上ではこの御大の存在を決して外す事はできない!
京撮というのは他の撮影所とは違ってどちらかといえばならず者・荒くれ者の集まりのような場所なんです。岡田氏という人は東大出のエリートであるにもかかわらず、大きな体'とガラの悪い広島弁でそうした叩き上げの荒くれ者相手にも一歩もひかず、押しが強く、何を隠そう広島時代に柔道の主将を鳴らしてなおかつ喧嘩の達人という本宮ひろ志の漫画に出てきそうなイメージをそのままにした凄まじい人なんです。だからこそ京撮の水にあってそのトップに上り詰める事ができたんだと思います。
時代劇全盛の時に東映が頂点にたって王者の驕りから徐々に衰退していくなかで次の模索をうっていく様子もよく描かれていて、『十三人の刺客』『大殺陣』に代表される東映集団時代劇の誕生と撮影の裏話(特に『大殺陣』の挿話では納期を遅らせてはならない理由から役者たちの殺陣にムチャさせているのが凄まじい)!
時代劇が終焉に向かうにつれて次の手としてうったのが任侠映画後に意味東映の代名詞ともいえる事となった
よく東映が他社で描かれるヤクザ映画よりもリアルだといわれているが、それもそのはず本職を招いて作法を教えてもらっていたり(今でいうテクニカルアドバイザー)、銃の扱いについては警察から許可を持って本物を使用したり、今では考えられない事が京撮ではまかり通っていたという(その象徴が高倉健主演の映画『山口組三代目』だろう)まさに治外法権ともいえる場所がこの東映京都撮影所だったともいえる(本当にメディアでは放送できないような挿話が目白押しであるがNHKではまずやってくれないだろうなあ)。
任侠映画の挿話でも特筆なのは、俳優・若山富三郎氏が現実と映画の見境をなくして撮影所で組を構えた挿話(注:実話だそうです)には爆笑し、後に『ブラック・レイン』にヤクザの親分役で出演された時も周りの付き人を従えて現れた若山氏を見て監督のリドリー・スコットが「若山は撮影以外の時からすでに役作りに入っているのか」と感心されたそうです。
そしてヤクザ映画の金字塔ともいえる傑作『仁義なき戦い』の挿話(これは散々語られているので割愛!)
ただ『仁義』以降、実録モノが衰退していき、やがては1980年代に入って映画の客層に変化が見られるにつれ(ここから女性や若者の客層が増えてきた)、東映でも女性層を意識した『鬼龍院花子の生涯』に代表される女性文芸路線で持ち直すも著者がよく描いているのはその一方でその路線のヒットにより映画評や識者たちから高い評価を受けた事で作り手たちも「格調の高さ」様式美を意識し出した反面、かつてのような荒々しさ(不良性感度)が成りを潜めだした事を上げられており、確かにこの頃のヤクザ映画を見ても『極道の妻たち』のようなヒット作はあるものの全体的におとなしくなってしまった印象が歪めない。
また、京撮でも若いスタッフを採用しなくなった事から京撮自身の寿命を縮めていく結果となった事も上げており、必然と時代に取り残されている様子が寂しい。いつの時代も若手が突き上げてきて時代の価値観を変化させていくのに京撮だけはそれを行う事ができなかったため今日のような低迷状態が続いている理由がよくわかる。
時代劇というジャンルが衰退している理由も現在の京撮の低迷ぶりとの関係は否定できないし、現に時代劇の殺陣や作法を受け継ぐ事ができず、このままでは時代劇の所作を知らない人たちが時代劇を作るという自体が現に今起こっているので何とかこの伝統と作法は受け継いでもらいたいものだ。時代劇は日本人にしか出来ない“宝”なのだから(『47RONIN』を観てもわかるでしょ!)