神州纐纈城 (河出文庫)
最初に読んだのは桃源社「大ロマン復活シリーズ」だった。
たぶん、シリーズの最初の刊行が本書だったと記憶している。
同シリーズは小栗虫太郎、海野十三、橘外男などの当時は入手が難しかった諸作を復活させ、再評価の機会を与える優れたものだった。
さて、本書である。
国枝伝奇の白眉とされているが、その錯綜したストーリーは確かに伝奇物といって間違いはない。
背景には父子や兄弟の相克が描かれており、著者はあまり意識してはいなかったのかもしれないが、裏テーマといえるだろう。
だから、ある意味では家族物とも分類できないこともない。
ただし、もっとこのテーマが深く掘り下げられていたら、という条件がある。
もし、本作が中絶ではなく完結していたら、はたしてどのような結末になっていたのだろうか。
著者のイマジネーションを考えると、とても予想することはできない。
しかし、本作の読後の余韻は、未完だからこそのものであるのも、また確かなことなのである。
これは著者の「蔦葛木曽桟」とは異なり、まったく集束の気配のないままの中絶という本作の状態は、余韻を感じるのとともに、突然空中に放り出されたような、非常に不安定な気分になることは間違いない。
かなりグロテスクな内容であり、描写もかなりエグい。
しかし、大衆文学のある方向に極端にふったという意味では、大衆文学の歴史を知る上でも意味のある作品であり、一読する価値がある。
そして、その幻想世界の味をしめると、また再び味わいたくなるという、麻薬のような魅力を持った作品である。
たぶん、シリーズの最初の刊行が本書だったと記憶している。
同シリーズは小栗虫太郎、海野十三、橘外男などの当時は入手が難しかった諸作を復活させ、再評価の機会を与える優れたものだった。
さて、本書である。
国枝伝奇の白眉とされているが、その錯綜したストーリーは確かに伝奇物といって間違いはない。
背景には父子や兄弟の相克が描かれており、著者はあまり意識してはいなかったのかもしれないが、裏テーマといえるだろう。
だから、ある意味では家族物とも分類できないこともない。
ただし、もっとこのテーマが深く掘り下げられていたら、という条件がある。
もし、本作が中絶ではなく完結していたら、はたしてどのような結末になっていたのだろうか。
著者のイマジネーションを考えると、とても予想することはできない。
しかし、本作の読後の余韻は、未完だからこそのものであるのも、また確かなことなのである。
これは著者の「蔦葛木曽桟」とは異なり、まったく集束の気配のないままの中絶という本作の状態は、余韻を感じるのとともに、突然空中に放り出されたような、非常に不安定な気分になることは間違いない。
かなりグロテスクな内容であり、描写もかなりエグい。
しかし、大衆文学のある方向に極端にふったという意味では、大衆文学の歴史を知る上でも意味のある作品であり、一読する価値がある。
そして、その幻想世界の味をしめると、また再び味わいたくなるという、麻薬のような魅力を持った作品である。