子供の名前が危ない (ベスト新書)
本書は前半と後半で評価が分かれる書だと思う。
前半は、普通では読めないような名前(本書では、珍奇ネームと呼ぶ)などについて、漢字の意味などから、「良い意味」「良くない意味」などを解説。
さらに、戦中戦後の、名前に使われた漢字から社会問題と名前の関係を考察する。
この「名前に使われた漢字」と「社会問題」の関係についての考察は面白い。
例えば、第二次大戦の最中、名前によく使われていたのは「勝」とか、「勇」とか、そういうものが多い。特に、戦況が悪化すればするほど増えて行く。ところが、敗戦をすると、いきなりそれらの名前はランク外へと消え、代わりに「茂」「豊」などが増加する。敗戦直後の、貧困の中、求められるものは、と言えば……。さらに、経済発展はしたが、人々の関わりが減る中で「愛」などの文字が増えていく……
ここから、「人々が欲しているものが、名前に反映されるのではないか?」という仮説には「そうかも」と思わされた。
ただ、その後は、私は疑問を感じてしまう。
著者は、先に書いた仮説を元に、今度は「珍奇ネーム」は、社会問題の反映である、という前提で話を始めるのである。
著者によれば、社会において、自己実現などが難しくなったから、というのであるが、その根拠は、珍奇ネームをつけた親の一人が「この名前が格好良いと思ったから」と言ったことだけである。そこに、著者自身の親が、不遇を託つときに生まれた自分の名前が難読だったから、というのを組み合わせているだけである。
著者の親がどういう理由でつけたのか、からして全く調べていないものだし、理由を話した親については、そもそも、著者のところに相談に行くと言う奇特な存在の中で、「ただ一人、話しをしてくれた人」という例外中の例外的存在である。それを前提に話を進められても説得力に欠ける、と言わざるを得ない。
さらに、後半に入ると、オカルト話まで出てしまう。
例えば、著者の下に相談に来た親の中で、女の子がほしかったが、男の子が生まれてしまったので、その子に女のような名前をつけたが、その子供は病弱だ、というエピソードがある。著者は、「女の子がほしい」という親の気持ちが子供に伝わり、子供が自己否定をしているので、病弱なのだ、と言う。
しかし、だとすれば、過去にもそういう事例は沢山あったのではないのだろうか? 前半の「悪い名前」で、「スエ、はもう子供はいらない」とか、「あぐり、は女の子はもういらない」というネガティヴな意味がある、と説明している。著者の主張が正しいのなら、「スエ」とか、「あぐり」などの名前の子供は統計的に平均寿命が短い、などの特徴がなければおかしなことになる。
ただ、ひとつの特殊な事例で「こうだ」と言い切るのは明らかにおかしな論法である。
ということで、前半は面白いと感じるのだが、後半はただ強引なだけ、と評価する。
前半は、普通では読めないような名前(本書では、珍奇ネームと呼ぶ)などについて、漢字の意味などから、「良い意味」「良くない意味」などを解説。
さらに、戦中戦後の、名前に使われた漢字から社会問題と名前の関係を考察する。
この「名前に使われた漢字」と「社会問題」の関係についての考察は面白い。
例えば、第二次大戦の最中、名前によく使われていたのは「勝」とか、「勇」とか、そういうものが多い。特に、戦況が悪化すればするほど増えて行く。ところが、敗戦をすると、いきなりそれらの名前はランク外へと消え、代わりに「茂」「豊」などが増加する。敗戦直後の、貧困の中、求められるものは、と言えば……。さらに、経済発展はしたが、人々の関わりが減る中で「愛」などの文字が増えていく……
ここから、「人々が欲しているものが、名前に反映されるのではないか?」という仮説には「そうかも」と思わされた。
ただ、その後は、私は疑問を感じてしまう。
著者は、先に書いた仮説を元に、今度は「珍奇ネーム」は、社会問題の反映である、という前提で話を始めるのである。
著者によれば、社会において、自己実現などが難しくなったから、というのであるが、その根拠は、珍奇ネームをつけた親の一人が「この名前が格好良いと思ったから」と言ったことだけである。そこに、著者自身の親が、不遇を託つときに生まれた自分の名前が難読だったから、というのを組み合わせているだけである。
著者の親がどういう理由でつけたのか、からして全く調べていないものだし、理由を話した親については、そもそも、著者のところに相談に行くと言う奇特な存在の中で、「ただ一人、話しをしてくれた人」という例外中の例外的存在である。それを前提に話を進められても説得力に欠ける、と言わざるを得ない。
さらに、後半に入ると、オカルト話まで出てしまう。
例えば、著者の下に相談に来た親の中で、女の子がほしかったが、男の子が生まれてしまったので、その子に女のような名前をつけたが、その子供は病弱だ、というエピソードがある。著者は、「女の子がほしい」という親の気持ちが子供に伝わり、子供が自己否定をしているので、病弱なのだ、と言う。
しかし、だとすれば、過去にもそういう事例は沢山あったのではないのだろうか? 前半の「悪い名前」で、「スエ、はもう子供はいらない」とか、「あぐり、は女の子はもういらない」というネガティヴな意味がある、と説明している。著者の主張が正しいのなら、「スエ」とか、「あぐり」などの名前の子供は統計的に平均寿命が短い、などの特徴がなければおかしなことになる。
ただ、ひとつの特殊な事例で「こうだ」と言い切るのは明らかにおかしな論法である。
ということで、前半は面白いと感じるのだが、後半はただ強引なだけ、と評価する。