三国志 第十一巻 (文春文庫 み 19-31)
本巻でのメインは、前巻に引き続き曹爽、孫権、二宮の乱が終演して孫権が亡くなった後に台頭する諸葛カク、
そして全篇にわたって顔を出す主役の司馬懿、蜀は完全に脇役になっています。
司馬懿以外の面子が全篇にわたって見事にイライラさせてくれるのはある意味面白い巻と言えるのかも知れません、
そしてそのイライラは筆者に対する物では無く、登場人物に係わる物であり、
本巻の中身も殆どが内部抗争に類する物となっています。
ボンボン育ち故か楽観的すぎる曹爽は、老獪な司馬懿に謀られてあっさりと武装解除、
桓範や弟の曹ギのため息が聞こえるようです。
浮かれるバカ兄弟の中、何とかせねばと1人やっきになる曹ギが何とも気の毒になります。
連座して処刑される桓範が、曹爽兄弟を"仔牛"と罵りますが、
曹魏の将来を憂いていた彼の立場は何とも悲惨です。
司馬懿に付けば勝ち組になれるのは分かってはいるが、
曹魏の簒奪を目論む者には絶対に荷担しない桓範は忠義の臣であることは間違い有りません。
しかし主が悪すぎた、荒事鉄火場に挑むには曹爽では明らかに力不足、
その力不足分を補うだけの力量が無かったのが桓範の悲劇であったように思えます。
印象的なのは、演技では小物として書かれることが多い曹爽一派の李勝です、
耄碌した演技をする司馬懿の姿を真に受けて涙を流すのには、
曹爽一派である彼が、必ずしも司馬懿を亡き者にしようとか言う意識ではなかったことを感じさせてくれます。
逆を言えば状況把握の甘さのみ成らず、この辺の認識の甘さが曹爽一派の弱点だったのでしょう。
司馬懿側は相手を殺す気満々ですが、曹爽側はそこまでの意識はなかった差が、
本件勝敗の大きな一因であったと感じました。
それにしても一族まで連座で処刑されてしまう光景にはやり切れなさを感じます、
曹爽一派に関しては三族皆頃にしなるまでの大罪は犯していないように感じますが、
我が身助かりたさに曹爽一派の刑を曹爽一派でありながら重めに裁いた何晏、
(軽めに裁いたからと言って曹爽一派が助かる保証は何も無いのですが…)
勿論その辺を司馬懿は見越していたのでしょうが、何とも後味の悪いやり口です。
徹底的に反乱の芽は摘む、周到な司馬懿らしさを感じる部分でもあります。
"麒麟老いては駑馬にも劣る"を絵に描いたような老耄of老害な孫権
蜀では孔明が没し、魏では前巻での公孫淵の乱や、本巻での曹爽vs司馬懿のゴタゴタで呉としては力を蓄えるには絶好の時なのですが、
若かりし頃の赤壁開戦の決断を果敢に行ったのは遠い昔、
本巻での孫権の様相は正に無様、やることなすこと全てが悪い方へ向かってしまう暗君その物です。
劉表や袁紹での跡継ぎ争いを見ている曹操ですら、臣下間の一悶着はあったのですが、
孫権はソレに輪をかけた混乱を引き起こしてしまい、
陸遜を悶死に追い込み他、多くの賢臣を失ってしまいます。
臣下の将が小粒になってしまったこともありましょうが、
やはり孫権の老いによる弊害が圧倒的に大きく。
最終的に、激しく臣下同士が争っていた孫和でも孫覇でもなく、いきなりの四男孫亮を太子に擁立、
一見折衷案にも見えますが、誰も得をしない臣下総ツッコミ必至なチョイスをしてしまいます。
そんな大混乱の中、本人が暴政をしかぬまでも、
落剥した主君の下で臣下が好き勝手やり始めます、
The腰巾着佞臣孫弘が暗躍している中、孫権が没し、
それに乗じて更なるステップアップを目論んだ孫弘は、
孫峻&諸葛恪に殺害されてしまい、。
孫権の意向通り孫亮が皇帝に擁立され、やっと落ち着くかと思いきや、
必要の無い功に焦る諸葛恪の独断専行により、
多くの兵を失ったことから宮内の不興を買い斬殺のうえ族殺、
今度は孫峻の台頭し…更なる混乱
蜀では、馬謖や劉封、李厳など、敗戦の咎やその原因を作ったために死罪や流罪になった人物の子弟にまで累が及ばないどころか、
取り立てられてまでいるのに比べると、諸葛恪への処罰は苛烈過ぎると言わざるを得ず、
殺られる前に殺れ!と言わんばかりに憎悪に満ちあふれた呉の人間関係が垣間見えます。
小粒同士のつぶし合いで、結局は孫峻が11巻ラストの段階では勝利者になってはいますが、
何とも遺恨を残すと同時に隙だらけの着地点、呉内での繰り返す三日天下には読んでいても辟易としてしまいます。
本巻の主役たる司馬懿も、登場は本巻がラストです。
本巻でのもう一人の主役とも言える孫権は、司馬懿と同世代なのですが、
死の間際まで脳漿を全力回転させガッシリと司馬氏の基盤を築いた司馬懿と。
父や兄から引き継ぎ、賢臣名臣達と共に気付いてきた国を最後の最後で全てをぶち壊した孫権。
この2人の対照的な幕引きが何とも印象的です。
司馬懿が死んでも大きな乱れが見えないあたりにも、司馬懿のすごさというか恐ろしさを感じます。
そして全篇にわたって顔を出す主役の司馬懿、蜀は完全に脇役になっています。
司馬懿以外の面子が全篇にわたって見事にイライラさせてくれるのはある意味面白い巻と言えるのかも知れません、
そしてそのイライラは筆者に対する物では無く、登場人物に係わる物であり、
本巻の中身も殆どが内部抗争に類する物となっています。
ボンボン育ち故か楽観的すぎる曹爽は、老獪な司馬懿に謀られてあっさりと武装解除、
桓範や弟の曹ギのため息が聞こえるようです。
浮かれるバカ兄弟の中、何とかせねばと1人やっきになる曹ギが何とも気の毒になります。
連座して処刑される桓範が、曹爽兄弟を"仔牛"と罵りますが、
曹魏の将来を憂いていた彼の立場は何とも悲惨です。
司馬懿に付けば勝ち組になれるのは分かってはいるが、
曹魏の簒奪を目論む者には絶対に荷担しない桓範は忠義の臣であることは間違い有りません。
しかし主が悪すぎた、荒事鉄火場に挑むには曹爽では明らかに力不足、
その力不足分を補うだけの力量が無かったのが桓範の悲劇であったように思えます。
印象的なのは、演技では小物として書かれることが多い曹爽一派の李勝です、
耄碌した演技をする司馬懿の姿を真に受けて涙を流すのには、
曹爽一派である彼が、必ずしも司馬懿を亡き者にしようとか言う意識ではなかったことを感じさせてくれます。
逆を言えば状況把握の甘さのみ成らず、この辺の認識の甘さが曹爽一派の弱点だったのでしょう。
司馬懿側は相手を殺す気満々ですが、曹爽側はそこまでの意識はなかった差が、
本件勝敗の大きな一因であったと感じました。
それにしても一族まで連座で処刑されてしまう光景にはやり切れなさを感じます、
曹爽一派に関しては三族皆頃にしなるまでの大罪は犯していないように感じますが、
我が身助かりたさに曹爽一派の刑を曹爽一派でありながら重めに裁いた何晏、
(軽めに裁いたからと言って曹爽一派が助かる保証は何も無いのですが…)
勿論その辺を司馬懿は見越していたのでしょうが、何とも後味の悪いやり口です。
徹底的に反乱の芽は摘む、周到な司馬懿らしさを感じる部分でもあります。
"麒麟老いては駑馬にも劣る"を絵に描いたような老耄of老害な孫権
蜀では孔明が没し、魏では前巻での公孫淵の乱や、本巻での曹爽vs司馬懿のゴタゴタで呉としては力を蓄えるには絶好の時なのですが、
若かりし頃の赤壁開戦の決断を果敢に行ったのは遠い昔、
本巻での孫権の様相は正に無様、やることなすこと全てが悪い方へ向かってしまう暗君その物です。
劉表や袁紹での跡継ぎ争いを見ている曹操ですら、臣下間の一悶着はあったのですが、
孫権はソレに輪をかけた混乱を引き起こしてしまい、
陸遜を悶死に追い込み他、多くの賢臣を失ってしまいます。
臣下の将が小粒になってしまったこともありましょうが、
やはり孫権の老いによる弊害が圧倒的に大きく。
最終的に、激しく臣下同士が争っていた孫和でも孫覇でもなく、いきなりの四男孫亮を太子に擁立、
一見折衷案にも見えますが、誰も得をしない臣下総ツッコミ必至なチョイスをしてしまいます。
そんな大混乱の中、本人が暴政をしかぬまでも、
落剥した主君の下で臣下が好き勝手やり始めます、
The腰巾着佞臣孫弘が暗躍している中、孫権が没し、
それに乗じて更なるステップアップを目論んだ孫弘は、
孫峻&諸葛恪に殺害されてしまい、。
孫権の意向通り孫亮が皇帝に擁立され、やっと落ち着くかと思いきや、
必要の無い功に焦る諸葛恪の独断専行により、
多くの兵を失ったことから宮内の不興を買い斬殺のうえ族殺、
今度は孫峻の台頭し…更なる混乱
蜀では、馬謖や劉封、李厳など、敗戦の咎やその原因を作ったために死罪や流罪になった人物の子弟にまで累が及ばないどころか、
取り立てられてまでいるのに比べると、諸葛恪への処罰は苛烈過ぎると言わざるを得ず、
殺られる前に殺れ!と言わんばかりに憎悪に満ちあふれた呉の人間関係が垣間見えます。
小粒同士のつぶし合いで、結局は孫峻が11巻ラストの段階では勝利者になってはいますが、
何とも遺恨を残すと同時に隙だらけの着地点、呉内での繰り返す三日天下には読んでいても辟易としてしまいます。
本巻の主役たる司馬懿も、登場は本巻がラストです。
本巻でのもう一人の主役とも言える孫権は、司馬懿と同世代なのですが、
死の間際まで脳漿を全力回転させガッシリと司馬氏の基盤を築いた司馬懿と。
父や兄から引き継ぎ、賢臣名臣達と共に気付いてきた国を最後の最後で全てをぶち壊した孫権。
この2人の対照的な幕引きが何とも印象的です。
司馬懿が死んでも大きな乱れが見えないあたりにも、司馬懿のすごさというか恐ろしさを感じます。
湖底の城 三 呉越春秋 (講談社文庫)
宮城谷さんの作品はよく読んでますが、これは面白い。主人公の最期を知っていて読むので、余計に感情移入してしまう。戦いの場面が少し 少しリアル感がもてないのは、残念。