線 (角川文庫)
まず、ニューギニア戦について知りたい、というニーズに答えようとしている本ではない。その点、軍記物とは全然違う。
筆者が書きたいことは、(戦争における)人間というものは何なのか?という極めて普遍的かつ文学的な問いだ。
この普遍的な視点の導入により、読者は、かえって、遠い昔でかつもちろんほとんど知らない戦争、戦場とはどのようなものなのか、を間接的にもしかしまざまざと見せつけられることとなる。
経験したことでなければわからない、を覆そうとするのが小説であり文学の持つ大きな力であると思う。想像力を刺激することで、あらゆることを追体験させることができる、そこにこそ文学の存在意義があるのだということを改めて強く考えさせられた。実は、舞台はどこでもなんでもかまわないのだ。
読者の想像力を書き立てるには、ディテイルに誤りが混入していてはだめだ。筆者はあの戦争について1000冊以上の本を読んでいるとのことだが、特に、ニューギニア戦という題材が題材だけに、徹底した細部の舞台装置のリアルさが追求されている。軍馬に載せる鞍の名称に至るまでこだわっている。
僕は、戦記物を読んで知ったつもりになっている自分の恥ずかしさをこの本によって鋭く感じさせられた。いつのまにか追体験する、という営為を忘れてただ知識を追いかけてばかりいた。想像力を働かせることを忘れていたのだった。何のために自分が戦記物を読んでいるのか、と自問自答させられた。
たんたんとした語り口ながら、どの短編に描かれる人間ドラマも非常に面白い。むしろたんたんとしているところがよいのだろう。暑苦しくなく激情的でもない。いわゆる戦争文学というのとも違う。
ニューギニア戦についての知識があればあったで面白いし、なくても面白いと思う(あったほうがより楽しめるとは思う)。ニューギニア戦について知りたいと思う中で出合った本だが、思わぬ拾い物をした。
なお、ニューギニア戦についてある程度手っ取り早く知ることができかつ深い読み物には、地獄の日本兵、という新書がある。ぜひともあわせて読まれたい。こちらの本も違った意味ですばらしい本である。
筆者が書きたいことは、(戦争における)人間というものは何なのか?という極めて普遍的かつ文学的な問いだ。
この普遍的な視点の導入により、読者は、かえって、遠い昔でかつもちろんほとんど知らない戦争、戦場とはどのようなものなのか、を間接的にもしかしまざまざと見せつけられることとなる。
経験したことでなければわからない、を覆そうとするのが小説であり文学の持つ大きな力であると思う。想像力を刺激することで、あらゆることを追体験させることができる、そこにこそ文学の存在意義があるのだということを改めて強く考えさせられた。実は、舞台はどこでもなんでもかまわないのだ。
読者の想像力を書き立てるには、ディテイルに誤りが混入していてはだめだ。筆者はあの戦争について1000冊以上の本を読んでいるとのことだが、特に、ニューギニア戦という題材が題材だけに、徹底した細部の舞台装置のリアルさが追求されている。軍馬に載せる鞍の名称に至るまでこだわっている。
僕は、戦記物を読んで知ったつもりになっている自分の恥ずかしさをこの本によって鋭く感じさせられた。いつのまにか追体験する、という営為を忘れてただ知識を追いかけてばかりいた。想像力を働かせることを忘れていたのだった。何のために自分が戦記物を読んでいるのか、と自問自答させられた。
たんたんとした語り口ながら、どの短編に描かれる人間ドラマも非常に面白い。むしろたんたんとしているところがよいのだろう。暑苦しくなく激情的でもない。いわゆる戦争文学というのとも違う。
ニューギニア戦についての知識があればあったで面白いし、なくても面白いと思う(あったほうがより楽しめるとは思う)。ニューギニア戦について知りたいと思う中で出合った本だが、思わぬ拾い物をした。
なお、ニューギニア戦についてある程度手っ取り早く知ることができかつ深い読み物には、地獄の日本兵、という新書がある。ぜひともあわせて読まれたい。こちらの本も違った意味ですばらしい本である。
線 (角川文庫)
まず、ニューギニア戦について知りたい、というニーズに答えようとしている本ではない。その点、軍記物とは全然違う。
筆者が書きたいことは、(戦争における)人間というものは何なのか?という極めて普遍的かつ文学的な問いだ。
この普遍的な視点の導入により、読者は、かえって、遠い昔でかつもちろんほとんど知らない戦争、戦場とはどのようなものなのか、を間接的にもしかしまざまざと見せつけられることとなる。
経験したことでなければわからない、を覆そうとするのが小説であり文学の持つ大きな力であると思う。想像力を刺激することで、あらゆることを追体験させることができる、そこにこそ文学の存在意義があるのだということを改めて強く考えさせられた。実は、舞台はどこでもなんでもかまわないのだ。
読者の想像力を書き立てるには、ディテイルに誤りが混入していてはだめだ。筆者はあの戦争について1000冊以上の本を読んでいるとのことだが、特に、ニューギニア戦という題材が題材だけに、徹底した細部の舞台装置のリアルさが追求されている。軍馬に載せる鞍の名称に至るまでこだわっている。
僕は、戦記物を読んで知ったつもりになっている自分の恥ずかしさをこの本によって鋭く感じさせられた。いつのまにか追体験する、という営為を忘れてただ知識を追いかけてばかりいた。想像力を働かせることを忘れていたのだった。何のために自分が戦記物を読んでいるのか、と自問自答させられた。
たんたんとした語り口ながら、どの短編に描かれる人間ドラマも非常に面白い。むしろたんたんとしているところがよいのだろう。暑苦しくなく激情的でもない。いわゆる戦争文学というのとも違う。
ニューギニア戦についての知識があればあったで面白いし、なくても面白いと思う(あったほうがより楽しめるとは思う)。ニューギニア戦について知りたいと思う中で出合った本だが、思わぬ拾い物をした。
なお、ニューギニア戦についてある程度手っ取り早く知ることができかつ深い読み物には、地獄の日本兵、という新書がある。ぜひともあわせて読まれたい。こちらの本も違った意味ですばらしい本である。
筆者が書きたいことは、(戦争における)人間というものは何なのか?という極めて普遍的かつ文学的な問いだ。
この普遍的な視点の導入により、読者は、かえって、遠い昔でかつもちろんほとんど知らない戦争、戦場とはどのようなものなのか、を間接的にもしかしまざまざと見せつけられることとなる。
経験したことでなければわからない、を覆そうとするのが小説であり文学の持つ大きな力であると思う。想像力を刺激することで、あらゆることを追体験させることができる、そこにこそ文学の存在意義があるのだということを改めて強く考えさせられた。実は、舞台はどこでもなんでもかまわないのだ。
読者の想像力を書き立てるには、ディテイルに誤りが混入していてはだめだ。筆者はあの戦争について1000冊以上の本を読んでいるとのことだが、特に、ニューギニア戦という題材が題材だけに、徹底した細部の舞台装置のリアルさが追求されている。軍馬に載せる鞍の名称に至るまでこだわっている。
僕は、戦記物を読んで知ったつもりになっている自分の恥ずかしさをこの本によって鋭く感じさせられた。いつのまにか追体験する、という営為を忘れてただ知識を追いかけてばかりいた。想像力を働かせることを忘れていたのだった。何のために自分が戦記物を読んでいるのか、と自問自答させられた。
たんたんとした語り口ながら、どの短編に描かれる人間ドラマも非常に面白い。むしろたんたんとしているところがよいのだろう。暑苦しくなく激情的でもない。いわゆる戦争文学というのとも違う。
ニューギニア戦についての知識があればあったで面白いし、なくても面白いと思う(あったほうがより楽しめるとは思う)。ニューギニア戦について知りたいと思う中で出合った本だが、思わぬ拾い物をした。
なお、ニューギニア戦についてある程度手っ取り早く知ることができかつ深い読み物には、地獄の日本兵、という新書がある。ぜひともあわせて読まれたい。こちらの本も違った意味ですばらしい本である。