関東大震災 (文春文庫)
102歳で大往生した神田育ちの祖母が、家族に呆れられながらも常に水の汲み置きをしていた。
90を過ぎやや物覚えが悪くなり始めたころに関東大震災の話をこちらから聞いたときのことだった。
食事をしたかどうかも定かでない記憶力なのに、まるで昨日起こったことのように話し始めたのだ。
震災のことを話す祖母は、女学校の生徒のごとく。いきいきと生々しい描写をし続けてくれた。
この本でも取り上げている住民のバケツリレーで消火できた地域のことと重なっているようだ。
だから、僕は、少しは震災を理解していると思っていた。でも、それは間違いだったようだ。
吉村氏の綿密な調査に基づく淡々とした描写は、読む者を圧倒し、映像を凌ぐほどの恐怖を実感させる。
前触れの地震があったことや伊豆の津波等のことは想像に難くはないが、本所被服廠跡で38000人が
焼死した悲劇の様子は、想像をはるかに超えるものだった。これはまるで炎の竜巻のようではないか。
神戸の震災後、雑誌NEWTONが記事にした地震時の「火災旋風」と説明していたものがわかった気がする。
でも、この本の本当のすごさは、後半にある。横浜で生まれた朝鮮人を加害者とした流言が、瞬く間に
東京から関東に伝わり、自警団がKKKを想像させるようなリンチ集団になる過程を克明に描いている点だ。
唯一の報道機関である新聞もこの流言をいっそう広範囲に流布する加担をしたことも明記している。
朝鮮政策の伊藤博文や中国政策の大隈重信を日本史の偉人扱いするわが国では、吉村氏の指摘するように
「日本人の内部には朝鮮人に対して一種の罪の意識がひそんでい」る。持たざる国の背負う十字架だ。
残念ながら、肌の色に関係なく複数の外国の知人から「日本人は世界中で最も差別意識の強い国民」
という意見を何度も耳にしている。アパートの賃貸契約や教育システムに関して何度相談されたことか。
実際に、東大の博士号を持ちハーバード大構内に住んでいたエリート家族に相談された例を挙げれば
日本では「外人」であるためアパートさえ借りられないそうだ。(いまだに「外人」という言葉が普通に
使われる日本語に存在する事実は、日本人の無意識で根の深い差別感情を如実にあらわしている)
早大博士課程終了で都の試験に2位で合格しながら採用されない外国籍の方から相談されたこともある。
機会があれば、神奈川県民と都民に、いや「内人」たる全日本人に読んでいただき感想を乞いたい。
藤十郎の恋・恩讐の彼方に (新潮文庫)
「恩讐の彼方に」「蘭学事始」「俊寛」など良く知られた作品の他
にも珠玉の短編が並ぶ。
戦場で受けた恩義に苦悩し続ける侍の「恩を返す話」。
役者が芸を極めるあまり人妻の心を切り裂いてしまう「藤十郎の恋」。
冥土の永劫の平穏の恐ろしさを暗示する「極楽」。
人間の因果、苦悩、本能を簡潔な筆致で描き切り、どの作品も硬質な
読後感を与えてくれる。
ブックオフに持ち込まず本棚に置いておきたい一冊。
ドキュメンタリー 頭脳警察 [DVD]
あの伝説的ロック・バンド『頭脳警察』。ロックが若者の反抗、社会批判を、過激で暴力的な表現で代弁していた昭和40年代半ば、PANTAとトシにより結成された彼らは、赤軍三部作といわれる「世界革命戦争宣言」「赤軍兵士の歌」「銃を取れ」の、赤軍派に触発された曲を演奏し、他の曲もラジカルな批評性の元に、日本語歌詞により独自の世界を作り上げ、ロックの中でも突出したバンドとして、圧倒的に支持されていた。彼らの演奏は世界に先駆けたパンク・ロックだったのだ。昭和40年代の終焉と共に解散したが、節目節目に再結成と解散(自爆)を繰り返している。
その『頭脳警察』のドキュメンタリー映画である。3部構成で、合計5時間15分もの大作だ。2006年から2008年まで、PANTAのバンド活動から頭脳警察の再始動に至るまで、彼らに密着して撮影されたものだ。先回りして言ってしまおう。この映画は頭脳警察が存在する時代のドキュメンタリーであり、再始動・頭脳警察のプロモーション・ビデオであり、頭脳警察・再始動のメイキング・ビデオである。そしてその背景には「戦争」という各々の時代の刻印が、はっきりと浮き彫りにされているのだ。
1部は結成から解散までの軌跡を、映像やインタビューを交えて纏めている。
2部は従軍看護婦として南方に派遣されていたPANTAの母親の軌跡。そして重信房子を介してのパレスチナ問題への関わりが中心となっている。優に二本分のドキュメンタリー映画が作れてしまう内容だ。
3部は各々のソロ活動から頭脳警察再始動に向かってゆくPANTAとトシ、そして白熱の京大西部講堂での再始動ライブへ。
ベトナム戦争から、赤軍派の世界革命戦争へのシンパシー。大東亜戦争当時、病院船氷川丸での母親の軌跡を、船舶運航記録によって、戦前戦後を通底する時間軸に己が存在する事を、PANTAが確認する辺りは圧巻である。そして中東戦争とパレスチナ。現在のイランなどに対する「対テロ戦争」という名の帝国主義戦争。なんとオイラと同じPANTAの世代は「戦争」の世代ではないか。
頭脳警察はその政治性によって語られる事が多い。しかし、本来はその存在や演奏自身がより政治的な意味合いを持っていたのだ。その事を自覚することにより、PANTAは「止まっているということと、変わらないということは、違うんだよ」と言うのだ。重信を通してパレスチナ問題に関わることを、落とし前を付ける、と言うのも、かつて赤軍三部作を歌い、赤軍派にシンパシーを感じた自分自身に対することなのだろうと思うのだ。
摘録 断腸亭日乗〈上〉 (岩波文庫)
文語体の調子が初めはとっつきにくいけど、それも次第になれてきてスラスラ読めるようになるのは、「英語だとこうはカンタンにいかない、おれってやっぱり日本人」というよりも、やはり荷風の練達した文章のうまさのせいか。日記といふもの、淡々とした日常に突如噴出する恨みや嘆きや怒りほどおもしろいものはなく、大正15年と昭和3年のものに読むべきものがアル。当世文士気質を「世の文学者といふものは下宿屋とカッフェーのほか世間を知らず、手紙も書くことを知らず、〈中略)まことに人間中の最も劣等なるものなり」と唾棄し、その代表として菊池寛を公然と俎上にのせているが、その蛇蠍の如き扱いから菊池寛の日記があれば照応してみたいと思うほどだ。
銀界
ジャズの世界に、星の数ほど「ワン・ホーン・カルテット」によるアルバムはあれど、本作はそのユニークさ、独特の芸術的な高さから見て、まさに、ワン・アンド・オンリーの傑作といえよう。
なにしろ、ホーンはホーンでも、「尺八」なのである。
しかも、偽者ではなく、後に人間国宝となった斯界の第一人者、山本邦山が吹いているのである。
これを迎え撃つジャズ・フィールド側も、菊地雅章+ゲイリー・ピーコック+若き日のポン太【というのは私の思い込みによる勘違いで、村上「寛」が叩いています。コメント欄のgrant blueさんからのご指摘です】というフレッシュなピアノ・トリオ。
すべて菊地雅章のオリジナル作品を、これまたオリジナルなアプローチで処理している。「日本風」といっても、ハリウッドのチャイナ風ニッポンとはちがい、正真正銘の「日本」である。ヨーロッパに媚びない、内省・内観による「日本」の表出。
あまり国士ぶるつもりは無いが、まさに、海外に誇れるメイド・イン・ジャパンの傑作だとおもう。
ただ、本作が、現代日本の若いリスナーたちにどれくらい受け入れられるかは、未知数だ。
なお、本作に収められている「驟雨」は、同名曲がギル・エヴァンス・オーケストラとの共演盤でも取り上げられているが、何回聴いても同じに聴こえない。今回のSHM−CD復刻で、73年の「エンド・フォー・ザ・ビギニング」が初CD化され、それにも同名曲が収録されているが、ギルのと同じ曲だった。英語タイトルも、向こう二つがdrizzling rainなのに対し、こちらは a heavy shower。私は、この二つは同名異曲であると、もはや勝手に解釈している。ちなみに、本盤での演奏から受ける感銘と、 a heavy showerという安普請ヤンキー的な表現とは、乖離しているとおもう。英題は本盤では不要だ。
また、タイトル曲となった「銀界」は、やはりその「エンド・フォー・ザ・ビギニング」で再演され、また、今回の再発ラインナップにも乗っているエルヴィン・ジョーンズとの「ホロー・アウト」でも取り上げられている。
興味と予算のある方は、どっちも購入して、聞き比べるのも一興か。私の場合、「銀界」はやはり本盤のオリジナル演奏に軍配を上げたい。