ワルキューレの騎行(地獄の黙示録)~映画のなかのクラシック
「ワルキューレの騎行」を聴きたくて購入しました。
ワーグナー好きなんですが、お店にあんまり置いてないんですよ。癒しクラシック全盛のせいでしょうか?
どれも耳慣れたクラシックだけあって、じっくり浸るにふさわしい!
作曲者が自分の気持ちを前面に出てて、わかり易いのです。
これを聴きながら作業をすると、地の底から何かが湧いてきて元気が出るのですが…私だけ?
岩山を登っていくイメージをお探しの方はどうぞ(^o^)丿
The Boy
文章とその資料としての内容は大変よろしいかと思うのですが
表紙が写真だったので少年・青年の写真も多いかと期待して購入したところ
写真点数は表紙以外では25点程度でちょっと残念な結果でした。
部分写真やスナップのようなイメージフォトも含まれるので
男性を描くためのデッサン資料を目的に購入するにはちょっと勇み足だったかと…。
ただ、彫刻関係も多く収録されているので
資料価値自体はそれなりにあるかと思います。
本来の本のあり方とはちょっとずれたレビューかとは思いましたが
参考になれば…。
ベニスに死す〈ニューマスター版〉 [VHS]
ヴィスコンティの後年の映画はまさに傑作ぞろいですが、中でもこの映画は際立っていると思います。全編に流れるマーラーの音楽とこれ以上ないほど美しいキャメラに加え、ストーリーの底流に流れる人生に対する諦念感というか(原作はトーマス・マンだからそれも当然か)...。なんとも絶妙です
トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す (新潮文庫)
私は芸術を鑑賞するのは好きだが、トニオのように自分でヴァイオリンを弾くこともできないし、詩を書くわけでもない。それにもかかわらず、彼の孤独は痛いほどよく分かる。それはまぎれもない芸術家の孤独だ。芸術家でない者がこの孤独を共有することができるのは、それがきっとすべての人間に共通のものだからだろう。人は誰でも程度の差はあれ芸術家なのだ。それは、この本が出版後100年経った今でも多くの人に愛され続けているという事実が証明している。
私はこの本を大学教養課程のドイツ語の時間に初めて読んだ。この本の本当の美しさはドイツ語で読むとよりよく分かる。ドイツ語が出来る人は是非チャレンジしてほしい。翻訳でそのドイツ語の雰囲気をよく出しているのは、岩波文庫の実吉訳の方だろう。あの北杜夫も絶賛したという実吉訳の文体は直訳に近いが決して読みにくくはない。トーマス・マンの文体がもつリズムを忠実に再現していると思う。
ベニスに死す [DVD]
この映画の主人公の男は、人生で大切なものを次々と失ってきた。アーティストとしての才能、娘、若さ、健康・・。放物線を描くように落ちていく人生の過程で、彼の視線は「美」をつねに指向している。しかし、その「美」はどこか観念的で、具体性がない。
彼はベニスで美少年タジオを発見し、彼に強く惹かれる。まるで、彼の中で抽象的に存在していた美の観念が、タジオという具体となって彼の前に現れたかのように。しかし、主人公はタジオと最後まで会話をしない。二人が口をきいていたら、主人公にとってタジオは「観念的な美」の高みから「ただの人」に堕ちてしまっていたかもしれない。
タジオは所詮は生身の人間である。主人公が愛していたのは、現実のタジオ本人ではなかったと思う。主人公が愛したのは、彼の脳内で作り出された、架空のタジオではなかったか。道化のような化粧までして、自らが作り出した幻影を追う主人公は、滑稽であると同時に、果てしなく哀れだ。何よりも哀しいのは、主人公自身が、その滑稽さと哀れさをよく理解していることだ。理解していたからこそ、崩れ落ちながら狂ったように笑い出したのではないだろうか。
そもそも「生」とは、絶えず変化しつづけ、猥雑で、えてして醜い。その意味で、「美」はむしろ「死」と親和性が高い。「完全な永遠の美」があったとしても、それはきわめて結晶的で反生命的なものではないか。そう考えると、「美」を追い求めた主人公に最後まで「死」の影がつきまとったのは、きわめて必然的かつ自然な演出であるように思えた。
ラストシーンでは、金色に輝く海を背景たたずむタジオのシルエットが映る。そこから漂ってくるのは、彼岸の気配である。主人公の視線の先にあるのは、もはや現実ではなく、彼岸なのだ。病魔に蝕まれた彼の命は、彼の視線と同調するかのように、現実世界から遠のいてゆく。彼の魂は、死によって、ようやく「美」と一体化できた。私は、そう解釈した。