三屋清左衛門残日録 (文春文庫)
三屋清左衛門は隠居である。用人を務めていたが藩主に願いでて
嫡男に家督を譲り隠居となった。
年を取っているから情緒に不安がない。
功成り名遂げているからもう欲はない。
だが、暇はある。
隠居はこうありたいと思わせる連作集。
蝉しぐれ (文春文庫)
イージーマネーがジャブジャブしていたあの頃、「根拠なき熱狂」が支配していたあの頃、日本人が物欲と西欧かぶれの二重苦を抱えて醜悪化の一途を辿ったバブル期に地方紙に連載(1986〜87年)された時代小説。バブルは死んだがこの小説は残った。残って日本人に美しい男女の恋の物語を語り続けている。映画化は顰蹙を買ったが(少なくとも私の周囲では)、テレビシリーズは名品で、外国で賞を取ったりしている。
お隣さん同士の少年と少女が成長し、お互いを意識する年齢になる。若竹のような少年と可憐で楚々とした少女。二人は理想の男女の型に沿って作られたキャラだが、この「型」に込められた人間の希求というのがある。清く存在したい、という願い。作者の哀切もまた窺える。おそらく作者は当時の日本人の姿に傷ついていた。
結ばれるのが当然のような男女が世の理不尽に流されていく三十年弱の歳月を追う中で、若竹の少年は忍苦の中で悪声を放たず、他人と争わず、泣く時は一人で泣く。少女は権力者の寵を得てなお清楚な心を失わず、少年を愛し続け、おそらく彼女もまた一人で泣いている。この物語の人々は秘め事を秘め事のままにしておける。現代人は秘密を守るのが苦手だ。「理解される」ことに餓えているから。本書の男女は「きちんとした振る舞い」に重きを置く世界に生きている。
ラブストーリーを描くには実はこれほどの物語の厚みと段取りが必要なのだと、これほど的確な描写の分量と筆の調子の高さが必要なのだと、痛いほど実感させてもらえる一冊。超一流の技というのは気持ちの良いものです。
山形 方言かるた
山形に転居して来て2年半、未だに分からない言葉がたくさんある中で、この方言カルタの発売。
いの一番に購入し、毎日特訓、でもまだまだです。
特にお年寄りのアクセントが全く分からなく、文字だけではニュアンスが伝わってこず、苦慮している毎日です。
しかし独特の山形方言には温かみを実感しております。
隠し剣 鬼の爪 通常版 [DVD]
陰気になりがちな時代劇を、見事に山田ワールドに演出し、ほのぼのとしたラストに導いていくものだ。
また、それぞれの演技と個性が計算し尽されていて、キャスティングもすばらしい。
端役一つを取っても、ミスキャストはなかった。
主役を演じた永瀬正敏のぼくとつとしたイヤミのない演技は、視聴者を心地良く惹きつける。
実に好演。
突出した演技は、場合によってはイヤミに感じるし、大げさな挿入曲は作品を打ち消すことにもなりかねない。
それらを踏まえると、この『隠し剣鬼の爪』は感傷的になりすぎず、ストーリー展開が巧みで、春の雪解けの清水のような清々しさを感じた。
完成度の高い時代劇映画だ。
蝉しぐれ [DVD]
大好きな藤沢作品の中で、一番のお気に入りだった「蝉しぐれ」。 映像化に大きな不安を抱いていた。 しかし、テレビ版はその危惧を見事に払拭してくれた。 映画版も同じ脚本家なのだが、テレビ版以上の時間の制約は如何ともし難い。
さらに特筆すべきはテレビ版で文四郎を演じた内野聖陽の演技力。感情を豊かに表す目、台詞の間合い、殺陣の力強さ。「演じた」というより、「生きた」というのが相応しい。彼を文四郎に選んだプロデューサーの慧眼に感服している。
運命を受け入れてなお、人としての誇り、矜持を失わない主人公。藤沢作品に流れる「切なさ」と「人の絆」をこれほど細やかに描き出したテレビ版は完成度の高い名作である。 テレビ版とて、時間的制約のために切り捨てられた残念な部分は確かにある。 しかし、それでも藤沢作品のテイストは、しっかりこの作品の中に息づいていた。 愛読者として、そのことが本当に嬉しい。