ユリイカ2010年12月号 特集=荒川弘 『鋼の錬金術師』完結記念特集
全体評価については的確なレビューを書かれている方がいるので譲ります。
荒川さんの対談とインタビュー、楽しく読ませて頂きました。
そのインタビュー内で、イスラム圏の外国人からのファンレターにふれ、
「宗教的には相容れないけれど、楽しく読んでいる」と書かれていたと言及しています。
その前には科学を突き詰めていく程実は宗教に近づいていくという、「神と科学」
の本を読んだ感想の発言もありました。
私も鋼を読み進むにつれて感じていた事があったのですが、その発言を読んだ時に
ストンと胸のつかえが取れた気がしました。
私は特定の宗教に所属している訳ではないですが、後半に行くにつれて
宗教によっては反発するのではないかと思っていた部分はありました。
それでも、読ませてしまう力があるというのは素晴らしい事だと思います。
ミノタウロス
舞台は、革命前後のウクライナ。
豊かな地主の家に生まれた若者は、激動する時代にすべてを失いながらも、
力強く、したたかに、生と死の挟間をかろうじて生きる。
乾いた大地でくり広げられる壮大なドラマは、
生半なヒューマニズムなど寄せつけない。
ミノタウロスとはギリシャ神話で、ミノス王の子にして
上半身が牛で下半身が人間というモンスター。
長じるにつれ凶暴の度を増し、最後はアテナイの王子に討たれる。
主人公はまさに、革命が産み落としたミノタウロスだ。
予備知識がなければ、翻訳文学と見紛うだろう。
80年代後半に突然あらわれ、当時の私のゆる〜い読書に冷水を浴びせた、
アゴタ・クリストフさんの『悪童日記』から連なる三部作を思い起こさせる。
そして、中上健次さん亡き後「日本文学は終わった」と嘯き(汗)、
しばらくこの国の作家の作品を手にしなかった私は・・・
予備知識がなかった。
わずか数ページ。
すでに、これから展開するだろう酷薄な世界を予感させ、
あれ?日本人の作品だったよな──と改めて奥付の著者名を確認する。
佐藤亜紀・・・女性と知って、少し納得する。
佐藤さんのブログ「新大蟻食の生活と意見」を読む。
舌鋒鋭く、楽しい。
今回初めて、『鏡の影』をめぐる騒動を知る。
なるほど。読まざるをない。
いずれにしても、『ミノタウロス』は
読み手のこれまでの読書歴と世界観を問うている。
全霊を傾けて臨むべき、骨太の作品である。
シャーリーの好色人生と転落人生 [DVD]
会話シーンの面白さを改めて教えてくれる映画でした。
またその点で「好色人生」と「転落人生」の二本が絶妙なアンサンブルを奏でています。
一本目「好色人生」の会話の撮り方は実に「好色的」であります。
と、いうのも女優さんたちの顔が実によく撮れているのです。
女優がキチンと「女優」として扱われている、というべきでしょうか。
ここでの括弧付きの「女優」とは、撮影所時代の女優、という意味です。
原節子や高峰秀子などを撮っていたように、ここでは女優の顔がとても大事にされているのです。
照明も多分、そうなっているはずです。顔に掛かる影にも気が行き届いています。
またカット割りも、バストショットでの切り返しが続いた後に何気なく挿入されるロングショットの
アングルといいタイミングといい、女優の身体を引き立て、映画を引き締めています。
また、夏生さちさんに関しては、セリフまわし等も含め、80年代のアイドル映画(角川映画)を思わせるところがあります。
ここでも被写体(アイドル)の存在を引き立てる演出が細かく施されているのです。
昭和のスター女優の映画とアイドルの映画が、舞台となる平屋の一軒家で共同生活を営んでいるのです。
誠に好色的、であります。
対して「転落人生」の会話は「転落的」です。転げ落ち、逸脱し続けるのです。
この映画は最初、笠木泉演じるシャーリーの妻の「語り」の枠内で描かれているのですが、
彼女の話す何ともとらえどころのない方言とアクセントに誘われるように、物語は当初設定されていた枠内を逸脱し、転落し続けます。
彼女自身の立場・物語内の立ち位置も、同じく回想の語り手という、当初設定されていたものから脱線していくのです。
それを可能にしているのが、一度聞いたら耳からなかなか離れないあの方言と、登場人物たちが感情を露(あらわ)にするときの
独特の言い回しです。
言い回しに関しては、ひとつわかりやすい特徴を挙げるとするなら、アクセントの位置、言葉を止める位置(文章で言う「、」(句点)を打つ
位置)を意識的にズラしているようです。
そのズラし方にどのような法則があるのか(或はないのか)までは私にはわかりませんが(ただ、句点を打つ位置の独特のセンスは
何となく太宰治を思わせるところもあり、その意味でこの映画を監督した富永昌敬さんが太宰治の『パンドラの匣』を映画化したことにも繋がる
ような気もします。が、これはただの妄想に過ぎないかもしれません)。
しかし、誠に「転落的」なのであります。
バルタザールの遍歴 (文春文庫)
この本が出た年の暮れ、ことし最後の本は何にするかと考えながら書店をふらふらしていて、何となく装丁が気に入り買って帰った。読んで仰天、まさに1年を締めくくるにふさわしい運命の出会い的な作品だった。挟まっていた解説書に、選考委員が翻訳ではないかと疑ったと書いてあったのを覚えている。男女の関係が描かれていないのが不満だとも書かれていたが、そんなもん、この作品には要らんわい。当時のヨーロッパの退廃的な雰囲気、世界最後の本当の貴族様が描かれていて、以来、私にとって佐藤亜紀は特別な作家となった。
ムジカ・マキーナ (ハヤカワ文庫JA)
1800年代のヨーロッパを舞台に、才能がありながら、若すぎることでオーケストラに受け入れられない青年の苦悩を描いた物語。
だけなら普通なのだが、そこに当時はあり得なかった音響機器が登場したら、それは受け入れられる人とそうでない人に分かれるだろう。受け入れられる人は幸せだ。この独特の世界に思う存分、酔いしれることができる。「魔笛」と呼ばれる麻薬を使って「最高の音楽」を探し続けるフランツ。著者は、人類最大の快楽は音楽であると言ってはばからない。
最後には、機械による音楽とブルックナーのオルガン演奏との対決があり、クラシックファンならずとも手に汗をにぎる。この独特の世界、一度はまると癖になる作家である。