ルワンダの涙 [DVD]
1994年にルワンダで起きた、集団虐殺(ジェノサイド)の現場に居合わせた人たちのドラマ。
公開劇場が限られており、ぜひとも全国公開して欲しかった作品です。
公立技術学校を運営しているクリストファー神父(ジョン・ハート)、青年海外協力隊で派遣されてきた英語教師ジョー・コナー(ヒュー・ダンシー)、国連平和維持部隊の指揮官デロン大尉(ドミニク・ホロヴィッツ)、英国BBC放送のレイチェルとマーク、ジョーの教え子でツチ族のマリー、ジョーを手伝うフツ族青年フランソワ。
全て現地撮影、スタッフには虐殺時に肉親を失った人たちが多く含まれています。
映画は暗闇の中を走って逃げるツチ族の少女マリーで始まります。
闇が晴れて場面が変わり、マラソンか中長距離か、陸上競技の実況中継をするジョー。
「来ました、最後のコーナーです!」
走っているのは同じくマリーですが、場所は学校の校庭です。
少し離れたテントには、国連平和維持軍として派遣されたベルギー軍の指揮官デロン大尉もいます。
「さぁタイムは?!世界記録か?我が校から世界記録が誕生です!!」
生徒も巻き込んで、イスラムのお祈りか何かみたいに膝をついてマリーを崇めるジョーは、一部の生徒に"やりすぎだろー"みたいなツッコミを入れられてます。
コメントを、といきなりマイクを向けられたフツ族のフランソワは苦い顔。
一見平和に見える光景はしかし、ジョーの視点でのみ平和で有り得るのです。
ツチ族とフツ族、一般人と軍人、異なる二つが同じ場所にいるという微妙な均衡の上に成り立っていた世界は、大統領機墜落という事件によって崩れ去ります。
二つの民族が共存できると思っているジョーに、"貴方は何も判ってない"と言ったフランソワは民兵組織に加入。
ツチ族によるクーデターとの触れ込みのもと、フツ族によるツチ族虐殺が公然と行われ、国連軍が駐在する学校には保護を求めたツチ族が避難していましたが、国連は撤退を決めます。
市民と民兵の区別はすでになく、ナタを手にツチ族を"狩る"フツ族の人々。
ツチ族を"ゴキブリ"と呼ぶ彼らにとって、ツチ族は人ではないのでしょう。
白人だけを連れに来たフランス軍、撤退する国連軍。
彼らにとって、ツチ族であろうがフツ族であろうが白人以外は救出の対象ではなかったのでしょう。
学校に残されたツチ族はほとんどが殺され、逃げ延びたマリーがジョーと再会するシーンはいたたまれません。
何故自分たちを置いて行ったのかと問うマリーに、「死ぬのが怖かったんだ」と答えたジョー。
その答えは、決して非難されるべきものではないと思います。
ルワンダ人のことなどどうでもいい、彼らの生死など関係ないと思っていたのではありません。
手を尽くして、無力さを嘆いて、何とかしたいと思いながら叶わない絶望を胸に抱いて。
あの日、ルワンダを後にした人たちのうち、幾人がジョーと同じ思いだったでしょうか。
非難するのは簡単なこと。
その時その場所で、できることをしなかったなら責められても仕方がない。
けれど、時に選択すら許されない状況がある。
残って一緒に殺されるべきだったなどと言える筈がない。
"自衛か死か"とフランソワは言った。
あの時ツチ族が戦うことを選んでいれば、何かが変わったのだろうか?
植民地時代から現代まで、外部勢力に翻弄され続けるアフリカ諸国。
国連の介入はその正義の如何に関わらず、どちらか片側に肩入れすること。
今なお多くの国々が紛争の最中にある。
ジェノサイドの丘〈上〉―ルワンダ虐殺の隠された真実
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ホテル・ルワンダ プレミアム・エディション [DVD]
地球の、世界のどこかで苦しんでいる人がいても、自分は眠ることもご飯を食べることもできる。もっと近い、おそらく直ぐ近くの公園などで、餓えや寒さ、暑さに苦しんでいる人がいても、自分は生活できる。悩んでいたら前に進めない、生きていけない。
だけど、その彼らともどこかで繋がっているということと、それでも自分は生きているという恥ずかしさとを、常に心の片隅にとどめておこうと感じさせてくれる。もちろん行動を起こせばもっと世界を変える速度が増すだろうだろうけど。