白昼の通り魔 [DVD]
凄い映画がDVD化されましたね。今日あまり見ることの出来なくなっている日本映画の傑作・問題作は数多くありますが、この大島渚DVD-BOX発売で最後の関門が開いたかのような感慨を受けます。ビデオ店を血眼で捜しても置いてなかった作品が勢揃いしました。
そしてこの『白昼の通り魔』です。武田泰淳の原作は土俗的な生命力を持つシノに思いを仮託しているように読めるのですが、映画では明らかにマツ子先生と源治という「屈折したインテリ」の無惨な顛末に照準があるように見えます。現実の前に砕け散った理想。農村は民主主義の高邁な理想などどこ吹く風で、生き抜いていくリアリズムにべっとり塗り固められています(これは『飼育』から引き継がれたテーマ)。「恋愛とは無償の行為です」というマツ子先生の言葉は英助のどす黒い欲望の前では何の力も持たず、もはや最後には哀れにも自らの情欲を糊塗する言葉に堕するのです。それはいみじくも第1次安保世代であり京都大出身の大島監督が自らに突きつけた告発の刃のようにも思えるのです。
難解と言われる大島作品ですが、実は映画のテーマ的発展を続き物として見ていけば、監督が常に誠実にその答えを出そうと格闘してきたことが分かるのです。この作品は『日本の夜と霧』で糾弾しあったセクトの人物達のもう一つの悪夢のパラレルワールドになっていますし、青年がなぜ強姦魔になったのかを描いたのが『日本春歌考』、故あってそうなった人間を国家の名の下に抹殺していくことの是非を問うたのが『絞死刑』な訳です。
非常に細かいカット割りで出来たこの作品、せき立てられるような高いテンションの中で矛盾だらけの登場人物の行動・存在の意味が問われていきます。それは初めから袋小路に陥ると知りながらやり出した難事業。その苦闘の痕跡が全編横溢しています。この様なもの凄い邦画が撮られ、今DVDで手にすることが出来る日本の文化に私は誇りを感じます。
ひかりごけ (新潮文庫)
とても面白い本だと思います。特に、この中で出てくる校長先生のキャラクターには忘れがたいものがあります。
しかしこの本に関心を示す人であれば、是非に(まだ読んでなければ)、大岡昇平の『野火』も読むべきだと思います。扱う問題の種類としては、大岡の先を行く興味深さはありますが、『野火』の文章が持つ迫真力には及ばないようにみえます。
それでも、やはり節目、節目に思い出されるべき重要な作品であると思います。
森と湖のまつり [DVD]
高倉健と北海道という組み合わせで一番成功しているのがこの映画だ。
ダンスウィズウルブスがアメリカ先住民を描いた以上に、アイヌの現在を神話的に描くことに成功している。自らの和人としての出自を知らないアイヌ独立の闘志である高倉健の姿はむしろマルコム・Xを思いださせるかも知れない。壮大なスケールを持っており、ぜひ大画面(ワイド+カラー)で見て欲しい。
原作よりもいい作品になっている。内田吐夢の隠れた傑作だ。
富士 (中公文庫)
武田泰淳の小説は初めて読んだ。確かに本作の思想の重層性は日本近現代文学の中でも類を観ない。だが、はたして小説の完成度や温度という点で、正直ゆるい、としか言えない。タイトルに記載させて頂いたのだが、武田泰淳という人は頭のいい人だったと思う。それは本作を読めば判る。だが、結論を言えば、「頭のいい人が頭の良さで書いたな」という印象は読書中ずっと付きまとっていた。重層的な人間関係や精神を描いてゆく文章に温度が無く、理に堕ちているのだ。文章の温度とは何か、とは難問だが、一言で言えば「作家の生理」だと思う。その熱が帯びておらず理知的な思索が重ねられている為、本作はストーリテリングのダイナミズムが無く、ガツっと響くものが弱いのだ。
故・安原顕氏がどこかの文章で「武田泰淳は飽きっぽいのかも知れない」と本作を評価しつつも、作品に忍ぶ緩慢さを評していたが、僕自身もその点同じ印象を受けた。





