遍路みち
いかに吉村昭という人が偉大であったか…。いつも冷静で潔癖な節子さんが妻として恐ろしく取り乱している…。そんな風に思ってしまった。
私はずっと吉村・津村夫婦作品の大ファンであるし、人間的にもお二人を尊敬するものであるが今までこんなに取り乱した姿の節子さんを作品上で見るのははじめてである。今までのご夫婦の私小説的な作品の中、吉村昭が夫人の節子さんにべたボレなのを堂々と表現しているのに対し、節子さんは同じ事柄を描いてもぐっと夫に点の辛い描き方であったように思う。ちょっと吉村さんに冷たいのでは?と思えるほど夫の身勝手さ、を書いていた。ところがこの本に納められた「遍路みち」「声」「異郷」では潔癖症の節子さんが、吉村さんの死にうろたえている自分をそして妻としての嘆きを素直に表現しているのである。今まで意識的にのろけるのを避けていたのだろうが、ここにはいつになく素直に夫に脱帽する妻としての節子さんがいる。無心論者の吉村さんがじっと死病と対峙している時に、話をしたいであろう夫の気持ちを汲みきれず出版の準備に追われていた自分の姿を悔恨する節子さんの切なさ。その妻の姿をじっと見守るる病床の吉村さんも切ない。それにしてもかの吉村昭にこれだけ最後まで愛された節子さんは幸せであるとつくづく思う。
紅梅
不覚にも、最後数ページで、泣いてしまいました。
壮絶に生きた作家の最期は、やはり壮絶で、作品同様、筋が通っていると感じた。
死と向き合った本人の葛藤は、それほど描かれていないが、本人の心の中はどうだったのか?
そのあたりが、第三者の目で、あえて簡略に描かれている分かえって、強く印象に残る作品である。