綺羅星波止場 (河出文庫―文芸コレクション)
短編集+αな構成。
開くなり宮沢賢治的な世界が広がり、
「ああ、この人は本当に宮沢賢治が好きなんだなあ。」
とひとしきり感心させられます。
が。
2つ目のお話からは彼女の独自世界が、おもちゃ箱をひっくり返したように展開するのです。
個性的な名前を持つ少年たちは、ここではないどこか別の国(別の時代?)のような空間で
奔放に冒険を楽しんでいて。
登場するのは、彼らの期待通りの紳士、つまり研究者や医師さながらに白衣をまとった丸眼鏡の男や、
意味ありげにこちらを見つめる猫達。
どこか懐かしいような、それでいて本当は有り得ない出来事がさらりと起こる世界。
後半の『銀色と黒蜜糖』は、作者本人も語るとおり、「のばら」の制作過程に生まれた亜種(番外編)だとか。
本編より若干現実味のある空気感で、また一味違う流れを楽しめそうです。
波止場 [DVD]
我が生涯のベスト10は、その日その時の気分でめまぐるしく変わったりするものです。それくらいに沢山の名画と出会ってきた人ならば尚更に。私もそんな一人ですが、マーロン・ブランドが最高の演技を見せつけた「欲望という名の電車」「ジュリアス・シーザー」そして「波止場」は、何時だって記憶から離れることはありません。
ボクサーあがりのチンピラ崩れの青年が、組織から足抜けするという単純明快な筋立てが凡作に終わらない要因は、名匠エリア・カザンの硬質な演出、ブランドの類い希な演技力、そして波止場を牛耳る沖仲仕の顔役を演ずるリー・J・コッブの圧倒的な存在感に他なりません。名優カール・マルデンも知的な美人、エヴァ・マリー・セイントもここでは影が薄いです。
ラストでブランドとコッブが繰り広げる、何時果てるとも知れない決闘は映画史における屈指の名シーン。ちょっと話をずらしますが「ロッキー」のラストでボロボロになったシルベスター・スタローンの表情の原点は、この「波止場」にあるような気がします。今ふと思っただけですが。
加えて、我が日本で一時代を築いた「日活無国籍アクション映画」の原点も、実はこの名作にあるような気がしてなりません(これはずっと以前からの持論です)。大マジに「波止場」を換骨奪胎した結果が、珍奇な「ギターを持った渡り鳥」「エースのジョー」になってしまったという僥倖についても、機会があれば触れてみては如何でしょうか。
人生解毒波止場 (幻冬舎文庫)
中学の頃に読んだものの内容に影響されそうで売り払ったような・・・
村崎百朗さんの著書共々親に捨てられたのか?
サイコパス?電波?さまざまな名で呼ばれる社会不適合者が次々登場。
やつらが恒星の如く弱く小さな周囲の星をひきつけ支配下に置くようすを御覧ください。リリーフランキーもそのような趣旨の発言をしてましたが。
斬新過ぎる本書の内容にいまや時代は完璧に追いついたような気もします。
つか、大学入ってからできた友人がこれ系の人をひきつける強力な磁場を作っているのが気がかりです・・・。
波止場日記―労働と思索
著者の哲学者としてのことばの中には暗誦したくなるような鋭いものもあれば、逆説的にとれて理解に自信のもてないものもある。それは私自身の歴史一般に対する無知に端を発しているからだったり、著者の考え方が既成観念、一般論を木っ端微塵にするほどラディカルだからであったりする。おかげでこの本はポストイットだらけになってしまった。だからこそ再読の愉しみもあるわけで、本棚でなくいつも手に届くところに置いておきたいと思う。
ホッファーの労働者、哲学者としての二重の生活が読書の二重の愉しみとなっているところもユニークだ。毎日の生活の中で特にこれといった理由もなく楽観的になったり悲観的になったりする気持ちが愛しいほど率直に書かれている。彼は特定の雇用者の雇われているわけではなく、その日毎に貨物を下ろしたり、積んだりする船のために働いているため、一緒に働く面子も変わる。各々の仕事仲間の叙述が生き生きとしていて小説を読むような面白さがある。
50年近く前に書かれ、この50年で世界は激動したのにホッファーの言説は古びれていないばかりか、今だからこそ、その重さが余計に感じられる部分も多い。たとえば旅行中の旅人同士が旅先では譲り合いのマナーをもっていることをひきあいにだして、世界中の人間が自分はよそから地球にきた「お客さん」と考えればもっと他者に対して相手の立場を尊重するようにふるまえるのではないかといってるところなど、世界の大地主、救世主といわんばかりにふるまうブッシュやトニーブレアに聞かせてやりたい。「自由」とうまくわたりあっていけないタイプの人間が力で他者を抑えてつけようとするというコメントには長年のくすぶっていた疑惑が晴れたような気持ちになった。
波止場 コレクターズ・エディション [DVD]
何度見ても感動してしまうのです!
マーロン・ブランドはやはり、最高だ!
やくざの親分のリー・J・コッブも昔いそうな力ずくの闇の親分、がうまいです。
エバ・マリー・セイントがか細く守ってあげたい感じです。白い手袋や、お兄さんがなくなったと聞いたとき、声は聞かせず顔だけ写すところが、この映画は、すごーくうまいのです。
鼻の大きなカール・マルデンの牧師さんも、すてきです。
一番泣かせるのは、車の中でロッド・スタイガーのお兄さんと、ボクシングの八百長をやったために、自分が今ではただのチンピラになってしまった、という話を弟(マーロン)がするところです!!!この、生きていくために悪の親分の力に頼ってきた幼い兄弟の、悲しみが伝わってきます・・・この台詞は、マーロンの自伝に寄れば、彼が、書き直したのです・・・自分には何もない。まっとうに生きていくために自分はどうすればいいか、と一生懸命考えていた頃の若き日のマーロンだからこそ、言わせた説得力ある台詞だと思い、泣けます・・・!
チェックのフランネルのシャツを着ている、港の荷揚げ労働者。彼らの定番のファッションですね。ユニオンとか・・・
ところで、これを作ったエリア・カザンですが・・・彼は赤狩りのころ、共産系の考えをもった業界人を暴露した、といわれています。マーロンの自伝に寄れば、誰もが共産党の思想をいいものだ、と素直に思ったときがあり、しかし、それはソ連などとつながって、言葉通りの単純なことではなく、アメリカを脅かすかもしれないものなんだ、という考えにいたり、そのような考えを少しでも持った人をみんなでつるし上げる、という異常な状況になったのが、アメリカの赤狩りだった、といいます。カザンは問い詰められて、悪いことをしているつもりもなく、名前をいってしまい、それで、裏切り者の烙印を押されてしまった・・・マーロンによれば、カザンも翻弄されたひとりだった、そこまでは。問題は、そのあと、この波止場という作品です・・・
カザンはこの波止場という作品において、労働者階級の正義を感動的に描き、それによって、自分が売ってしまった共産系の考えの人たちに、エクスキューズをもとめる意味での映画であったのだ、というのです。それを、マーロンは全くカザンから、かれのその一番奥にあるこの映画を作るカザン自身の保身の手段の意味を、知らされずに、主演させられ、全力をつくして演じ、アカデミー賞まで獲ったのです・・・しかし、カザンの真意を知ったのは、それよりずいぶんあとだったそうです・・・今度こそ本当に、カザンはマーロンをだまして利用して、保身に走った、その映画である、ともいえるのでした・・・見事な作品なので、ちょっと皮肉に感じます。