ヴェデルニコフの芸術(7)
『月光』第1楽章の有名な3連音の崇高さはたとえる言葉も無い。高音は物理的な音の範疇を超えている。ポリーニとかリヒテルとかのつまらなさ、浅はかさを思わせる。音楽はスポーツではないのだ。
しかし、本盤の白眉は『32の変奏曲』だ。ヴェデルニコフが、20世紀芸術家の最も悲劇的な運命を担わされた一人であることは間違いないが、その演奏は驚くべきアノニマスなものだ。彼こそが音楽の使徒であり、最も偉大な演奏家に数えられる所以である。
ところが、この変奏曲にだけは、背筋が凍るような「怒り」が籠められている。これだけ怖ろしい演奏は聴いたことがない。両親を「人民の敵」として奪われた、アナトリー少年の真実の怒りがベートーヴェンの傑作に乗り移っているかのようだ。音楽の演奏として、これはフルトヴェングラーの47年の『運命』やリパッティによるモーツアルトのソナタを超えている。およそこれに匹敵する演奏を思い出せない。驚くべき振幅、天に達し、地を穿つ。奇矯なのではない、これこそ恐るべき真実の音楽。いや、音楽を超えた憤怒の波、そしてこれこそが音楽なのかもしれない。
しかし、本盤の白眉は『32の変奏曲』だ。ヴェデルニコフが、20世紀芸術家の最も悲劇的な運命を担わされた一人であることは間違いないが、その演奏は驚くべきアノニマスなものだ。彼こそが音楽の使徒であり、最も偉大な演奏家に数えられる所以である。
ところが、この変奏曲にだけは、背筋が凍るような「怒り」が籠められている。これだけ怖ろしい演奏は聴いたことがない。両親を「人民の敵」として奪われた、アナトリー少年の真実の怒りがベートーヴェンの傑作に乗り移っているかのようだ。音楽の演奏として、これはフルトヴェングラーの47年の『運命』やリパッティによるモーツアルトのソナタを超えている。およそこれに匹敵する演奏を思い出せない。驚くべき振幅、天に達し、地を穿つ。奇矯なのではない、これこそ恐るべき真実の音楽。いや、音楽を超えた憤怒の波、そしてこれこそが音楽なのかもしれない。