ミスター・ロンリー~魅惑のラヴ・サウンズ
ベタな選曲ですが、あの頃の幸せな空気に包まれたような ホンワカした気持ちになります。でも、耳に心地好いだけでなく演奏者が曲を入り込んでいることがパワーとなって伝わってきます。
ミスター・ロンリー [DVD]
マイケル・ジャクソンに憧れ、焦がれ、いつしか「マイケル」としてしか生きられなくなってしまった、アイデンティティを見失い、日々ストリート・パフォーマーとして物真似をしながら“現実”を生きている“ひとりぼっち”の孤独な若者。
これだけでも十分切ないのに、彼は養護施設の余興でマリリン・モンローのそっくりさんと出逢い、恋に落ち、彼女の導きで、スコットランドの森の中の古城を訪れる。
そこには、世界中の著名人(もどき)たちがコミューンを築き、そこで彼らは、この世で最も魅惑的なショーを興行しようと夢想していた。
今作の略筋を知った時、こんなに痛切な物語はないなと感じた。
そして、「ミスター・ロンリー」は、ボビー・ヴィントンの同名タイトル曲が情感過多に流れるオープニングから、全編予想通りの切なさと哀しさとおかしさと優しさに彩られたラブ・ストーリーに、唐突に登場する尼僧たちの“パラシュートなしの”スカイダイビングの奇跡の跳躍の数々を神の啓示として捉えた寓話が挿入された(しかも、結局この2つの異なる話は最後まで結び合う事はないのだ!)何とも人を食った不可思議で残酷ながら愛おしさに溢れたドラマだった。
チャップリンが、マドンナが、ローマ法王が、リンカーンが、ジミー・ディーンが、語り、歌い、踊る。
ニセモノ(似せもの)としてしか生の充足感を感じられない彼ら、その虚しくて滑稽な現実逃避の世界の裏にあるピュアで傷つきやすい感性たちに心が締めつけられる。
ハーモニー・コリン自身にとって最良にウエルメイドな逸品、彼が敬慕するヴェルナー・ヘルツォークとレオン・カラックスも出演している。
これだけでも十分切ないのに、彼は養護施設の余興でマリリン・モンローのそっくりさんと出逢い、恋に落ち、彼女の導きで、スコットランドの森の中の古城を訪れる。
そこには、世界中の著名人(もどき)たちがコミューンを築き、そこで彼らは、この世で最も魅惑的なショーを興行しようと夢想していた。
今作の略筋を知った時、こんなに痛切な物語はないなと感じた。
そして、「ミスター・ロンリー」は、ボビー・ヴィントンの同名タイトル曲が情感過多に流れるオープニングから、全編予想通りの切なさと哀しさとおかしさと優しさに彩られたラブ・ストーリーに、唐突に登場する尼僧たちの“パラシュートなしの”スカイダイビングの奇跡の跳躍の数々を神の啓示として捉えた寓話が挿入された(しかも、結局この2つの異なる話は最後まで結び合う事はないのだ!)何とも人を食った不可思議で残酷ながら愛おしさに溢れたドラマだった。
チャップリンが、マドンナが、ローマ法王が、リンカーンが、ジミー・ディーンが、語り、歌い、踊る。
ニセモノ(似せもの)としてしか生の充足感を感じられない彼ら、その虚しくて滑稽な現実逃避の世界の裏にあるピュアで傷つきやすい感性たちに心が締めつけられる。
ハーモニー・コリン自身にとって最良にウエルメイドな逸品、彼が敬慕するヴェルナー・ヘルツォークとレオン・カラックスも出演している。
ミスター・ミセス・ミス・ロンリー [VHS]
「ミスター・ミセス・ミス・ロンリ―」、今ではありきたりかも知れないが、80年当時ではかなり斬新な響きを感じたタイトル名を持つ今作は、ATGの常設館となった有楽シネマのオープニング作品として上映された。
当時、政治と激動の時代が終わり、ATGは、初期の難解で観念的な前衛主義の作品群から転じて、大手では企画が通らないであろう題材の映画を、年間数本単位であるが、映画作家たちに撮らせていたと記憶する。
今作は、大森一樹の「ヒポクラテスたち」と、寺山修司の「さらば箱舟」を挟む形で公開されたが、個人的にも凄く期待した作品だった。
まず、監督が神代辰巳である。にっかつロマンポルノの鬼才として名声を博し、他社でも例えば東宝で「青春の蹉跌」といった傑作を放っていた神代の初のATG映画、しかも、今作はゲーム性の強いコミカルなタッチの作品との噂を聞けば、自身が撮った「悶絶どんでん返し」のような作品になるのかと興味が湧いた。
加えて、主演の原田美枝子がプロデューサーと共同脚本を手掛けていたのも話題だったし、事実、弱冠22歳の彼女が全力でプロデューサーとして奔走しているのを人づてに聴いて、これは絶対に観なければと同世代として秘かに応援していた。
で、封切られてすぐ観たのだが、今思い返しても、これがどうにも細部がよく思い出せない(笑)。
小説世界の主人公に共鳴し、自ら主人公の名を名乗り、奇妙な手口で男たちと出逢い、彼らの部屋に上がり込んで空き巣を繰り返す女。その女を相次いで助けた男ふたり(実はひとりはオカマ)との奇妙な同居生活に、かずのこ倒産で消えた15億円を巡ってのコンゲーム的要素が絡んでくるのだが、、、。
タイトルのミスター、ミセス、ミスは、主演の原田芳雄、宇崎竜堂、原田美枝子をそれぞれ指す。
原田美枝子を媒介にしての3人の絡みが、軽妙な台詞回しと共に遊戯っぽく進むのでオモシロく観れるものの、期待した二転三転するような駆け引きと騙し合いの展開には拡がらず、かといって、神代真骨頂の男女の色と欲の粘着したドラマとも違ったような、、、。
原田プロデューサーの奮闘にも拘らず、残念ながら作品的にも興行的にも成功したとは言えないのが今日までの世評だと思えるが、不思議な感覚を持った映画であった事は間違いない。
三國連太郎、天本英世、名古屋章、草野大吾ら実力派俳優が脇を締める今作、久しぶりに再見し、自分なりの評価を定めてみたい。
当時、政治と激動の時代が終わり、ATGは、初期の難解で観念的な前衛主義の作品群から転じて、大手では企画が通らないであろう題材の映画を、年間数本単位であるが、映画作家たちに撮らせていたと記憶する。
今作は、大森一樹の「ヒポクラテスたち」と、寺山修司の「さらば箱舟」を挟む形で公開されたが、個人的にも凄く期待した作品だった。
まず、監督が神代辰巳である。にっかつロマンポルノの鬼才として名声を博し、他社でも例えば東宝で「青春の蹉跌」といった傑作を放っていた神代の初のATG映画、しかも、今作はゲーム性の強いコミカルなタッチの作品との噂を聞けば、自身が撮った「悶絶どんでん返し」のような作品になるのかと興味が湧いた。
加えて、主演の原田美枝子がプロデューサーと共同脚本を手掛けていたのも話題だったし、事実、弱冠22歳の彼女が全力でプロデューサーとして奔走しているのを人づてに聴いて、これは絶対に観なければと同世代として秘かに応援していた。
で、封切られてすぐ観たのだが、今思い返しても、これがどうにも細部がよく思い出せない(笑)。
小説世界の主人公に共鳴し、自ら主人公の名を名乗り、奇妙な手口で男たちと出逢い、彼らの部屋に上がり込んで空き巣を繰り返す女。その女を相次いで助けた男ふたり(実はひとりはオカマ)との奇妙な同居生活に、かずのこ倒産で消えた15億円を巡ってのコンゲーム的要素が絡んでくるのだが、、、。
タイトルのミスター、ミセス、ミスは、主演の原田芳雄、宇崎竜堂、原田美枝子をそれぞれ指す。
原田美枝子を媒介にしての3人の絡みが、軽妙な台詞回しと共に遊戯っぽく進むのでオモシロく観れるものの、期待した二転三転するような駆け引きと騙し合いの展開には拡がらず、かといって、神代真骨頂の男女の色と欲の粘着したドラマとも違ったような、、、。
原田プロデューサーの奮闘にも拘らず、残念ながら作品的にも興行的にも成功したとは言えないのが今日までの世評だと思えるが、不思議な感覚を持った映画であった事は間違いない。
三國連太郎、天本英世、名古屋章、草野大吾ら実力派俳優が脇を締める今作、久しぶりに再見し、自分なりの評価を定めてみたい。