笹まくら (新潮文庫)
戦前に徴兵忌避をして、偽名を使い、全国を香具師の一種の砂絵屋になって放浪し、危機を乗り越えた主人公が、戦後20年以上たって、前歴のせいで職場(大学の事務職員)で次第に窮地に追い込まれる話です。何が怖いって、戦後の本人に戻った生活の方が精神的に苦しいっていう現実です。自己の本音を隠し、平穏に暮らすことに努めていますが、職場の人事に絡んで、人の発言や行為の「裏の裏」を読む習性から逃れられなくなっている。徴兵忌避の逃亡生活の隅々が、頻繁に「フラッシュバック」してくる。次第に放浪生活の自由にあこがれるようになってしまう。最後には、徴兵忌避に踏み出してから、戦後もずうっと「同じ逃亡生活なんだ」という認識にたどり着いたような、救いのない終わり。悪夢のような小説です。放浪の途上に巡り合った女性との、皆生や隠岐や宇和島の思い出が、読者にとっても唯一の救いに見えてくる。
この小説、「徴兵忌避」をネタにしていますが、自己の存在の不確かさに怯え、正体を偽って生きる苦しさという「作家本人の長年の実感」を、小説にしたようにも思えます。だから、よけいに「他人事ではない」ように執拗に迫ってくるわけで。「樹影譚」、「横しぐれ」を読んだので、その思いを強くしました。
この小説、「徴兵忌避」をネタにしていますが、自己の存在の不確かさに怯え、正体を偽って生きる苦しさという「作家本人の長年の実感」を、小説にしたようにも思えます。だから、よけいに「他人事ではない」ように執拗に迫ってくるわけで。「樹影譚」、「横しぐれ」を読んだので、その思いを強くしました。
文章読本 (中公文庫)
丸谷才一の本を読むたびに、この人の正体は何だろうと思うことがあります。小説家?評論家?ジョイス学者?雑文家?多分、正体は10年に1冊の長編小説しか書かない小説家というのが正しいのだろうけれど、もちろん力点は小説家においています。少ししか小説を書かない小説家、そうなった理由はこの「文章読本」を読めばわかるような気がします。
もともと、芸の限りをつくして趣向を凝らした面白い作品を書くことを信条にしている小説家ですが、ある時、現在の日本がそういった作品を書き続ける環境にないことに気がついた。自分の作品を味わって、面白がってくれる読者層の薄さ。小説家にとって、信頼のできる読者をイメージできないのは致命的なことです。そこで彼は考えた、「小説を書く前にしなければならないことがある!」(と、私は想像しているのです。半分はあたっていると思います。)
その結果、書かれたのがこの「文章読本」。そして上質な文章の見本帳として生産されているのが「雑文集」。
以上の予備知識をもって、「文章読本」を読むと面白さが倍増します。私自身は「ちょっと気取って書け」というアドバイスに目からウロコがボロボロッと落ちました。「ああ、なるほど」と思い、それ以降、文章の幅が広がりました。それに、褒め上手なところも参考になります。まあ、文章の有段者を目指す人には必読書といったところですかな。
もともと、芸の限りをつくして趣向を凝らした面白い作品を書くことを信条にしている小説家ですが、ある時、現在の日本がそういった作品を書き続ける環境にないことに気がついた。自分の作品を味わって、面白がってくれる読者層の薄さ。小説家にとって、信頼のできる読者をイメージできないのは致命的なことです。そこで彼は考えた、「小説を書く前にしなければならないことがある!」(と、私は想像しているのです。半分はあたっていると思います。)
その結果、書かれたのがこの「文章読本」。そして上質な文章の見本帳として生産されているのが「雑文集」。
以上の予備知識をもって、「文章読本」を読むと面白さが倍増します。私自身は「ちょっと気取って書け」というアドバイスに目からウロコがボロボロッと落ちました。「ああ、なるほど」と思い、それ以降、文章の幅が広がりました。それに、褒め上手なところも参考になります。まあ、文章の有段者を目指す人には必読書といったところですかな。