13日間で「名文」を書けるようになる方法
高橋先生が明治学院大学で行った「言語表現法講義」(ひらたく言うと「文章の書き方」)の授業場面を再現し、大学生たちが課題で発表した文章もそのまま載っている。読んでいると、自分もその教室にいたような気分。
学生たちの文章がめっぽうおもしろい!自己紹介に始まってラヴレターやら「日本国憲法前文」やら「もし、1日しか記憶がもたないとしたら、という仮定の下で、1日分の日記」やら次々に書かされるんだけど、最近の大学生って本当に文章上手だよなー、と関心して読んだ。高橋先生の授業もものすごくわかりやすくて、おもしろいし、時に胸を揺さぶるし胸に沁みるし。それは先生が、生徒に(あるいは自分自身に、あるいは文学に)誠実だから。こんな授業を受けられる大学生は幸せだなー。(最近の他の授業がどんななのかわからないけど、私の頃はこんな授業はあんまりなかったよ)
と言うか、高橋先生の教えはいつも一貫して、初めて見る目で見て、初めて考えるみたいに考えて、初めて書くように書く、ということだから、初めてではないにしろ、プロではない大学生の文章が、キラキラしている、ということを先生は言いたかったんだと思います。そんな先生自身はもう何年も小説を書き続けているから、常に「初めて」書くみたいに書くことへの苦労は並大抵ではなくて、昔は一時期小説が書けなくなっていた時期もあったんだよ。復帰した時はファンとしてものすごく嬉しかった!でも「いつかソウル・トレインに乗る日まで」は、テーマをわかりやすく伝えようと一生懸命過ぎて、私的にはちょっとがっかりしたな、多少難しくてもいいじゃん、小説は……って、昔語りやめろ、自分。
要は私自身、授業は受けていないけど、高橋先生の熱心な生徒として、長年、先生の本を読み続けてきたということ。後ろの席でひっそり授業にまぎれこんでるおばさん、て感じ。
つぐみ [VHS]
牧瀬里穂さん主演、原作はよしもとばななさんの初期のベストセラー「TUGUMI」です。これもDVDになっていません・・・。
海辺の小さな町の古い旅館が舞台です。
開発による旅館の閉鎖間際という最後の夏休みに、従姉妹(中嶋朋子)がつぐみの町に帰ってくるところから物語が始まります。
つぐみの恋人になるのは開発側の社長の息子(真田広之)。
病弱な暴君のつぐみが切れて障子をやぶくところや、お風呂のなかでウクレレで歌「きりんのダンス」?を歌うところが印象的です。
相手役が真田広之というのはちょっと年齢があわないような気もしますが、ほかのキャストはいい感じです。
原作の雰囲気をおおむねおさえている感じです。
初期のころの牧瀬さんかわいくて大好き。前髪ぱっつんとまっすぐにきってあって、大きな目に棒読みのせりふ。乱暴ではっきりとした口調。
アンバランスな魅力です。
「幕末純情伝」も面白いですよ。
恋する原発
他の方のレビューが非常に優れているので、
自分のレビューをどうするか迷ったが、書くことにした。
自分自身の本音では、こういう日を待っていたという感想だ。
日本が崩壊してしまえばいいと本気で想った。
原発も最悪の被害になればいいと思った。
同時に、3・11の映像に、9・11の映像を思い出し、
呆然とし、涙を流した。
同じ時期に、「生きてるうちが花なのよ、死んだらそれまでよ党宣言」を久しぶりに見た。
すべてのものを笑いのめす哄笑とどうしようもない哀しみが
暴力的な文体で描かれている。
沖縄の米軍基地の問題と原発の問題は大きく重なる。
今回のことは誰にとっても想定外のことだと想う。
人間は想定内の中でしか生きて行けないのだと想う。
自衛隊も想定内の中の軍隊であるのと同じように。
誰が誰を責めることができるのか?
作者は、被災した人々以外の日本人にとって、
今回の震災と原発事故は時間的にも空間的にも喜劇であり、
すべての本質は同じであり、われわれは何度もそれを経験しているのに
していないふりをしているのだと言っているのではないだろうか。
どうにもうまく言葉にできない。
極めて断片的で幼稚なレビューになってしまった。
由美香 コレクターズ・エディション [DVD]
知り合いの女の子が本作のファンだというので、林由美香の追悼上映で観たけどなるほど傑作だった。「電波少年」なんか屁でもない前人未到の冒険ドキュメントだし。しかも元々はAVだし(笑)特典映像が60分も入ってるし(やはり追悼上映で観た続編的短編『愛しのAVギャル』も秀作だった)、ブックレットも200ページ近いようで、製作サイドの深い愛情が感じられる。意外にも初DVD化とのこと。今から到着が楽しみな1枚です!
一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))
著者は「教壇」という高所から小説書きの未経験者という下の者(読者)に教えるのでなく、読者を著者と同じく文学と小説を愛する者という、同等の目線におき語りかける。とりたてて腰が低いからというわけでなく、文学の無限の可能性、文学への愛が彼を謙虚にしている。
「少し長いまえがき」は、会話調のとっつきやすさとは裏腹に、髄の髄といいたくなるほど本質をついた内容で、なおかつ他の小説家や文学評論家が指摘したことのない「新しい」ものだと思わされた。舗装されていない、誰も歩いたことのない道を歩くように、私はゆっくりと注意しながら読み進んだし、そうするべきだと感じた。例えば「一ついえることは、わたしぐらい小説が好きな小説家は滅多にいないのではないかということです(えへん)。もちろん小説が嫌いな小説家はないはずです(たぶん)」この(たぶん)が重い。「小説のようなもの」を書いている小説家へ向けられた反語的疑問では?小説を書かずに「小説のようなもの」を書いているのは本当に小説を好きじゃないからでは?という。
著者はまた、「読者は保守的」だといい、「読者の楽しみのほとんどは『再演』のたのしみである」こと、「作者はそんな王様のいうことを聞く家来である」が、それはいまの小説の「悲しい実態」だともいっている。そして「傑作」や「芸術」と呼ばれるものがどのように生まれるのかもキチンと説明している。
この「少し長いまえがき」だけでも十分700円の価値がある。
レッスン6の「小説家になるためのブックガイド」も貴重で、ありがたく活用させてもらおうと思う。甚大な読書量の著者が「小説家になるための」リストとして作ったのだから時間がかかったにちがいないし、親切で丁寧なコメントは短いが、ビシビシの迫力。プロの小説家もこっそり買って自らを叱咤激励するのに読むのでは?