百億の昼と千億の夜 (秋田文庫)
日本SF界が世界に誇る、終末テーマ文学の金字塔。私の長い読書歴の中でも、あらゆるジャンルを通してこれに匹敵する感動を与えてくれた本はまれである。仏教的世界感に基づき描かれた世界の終末、その虚無観、寂寥観は、キリスト教的あるいはイスラム教的世界観や、中華思想に凝り固まった人たちには逆立ちしても書けないであろう、まさに時空を彷徨う詩人・光瀬龍ならではの世界である。海辺に繰りかえし打ち寄せる波のリズムに乗せて星の創生・地球の創生・そして生命の誕生を静かに語る序章。長い旅の果てに訪れた不思議な習慣を持つ村でプラトンが幻視した、アトランティス破滅の真相。覚者(仏陀)となる前の悉達多太子が出家して知ることになった、逃れられない終末の運命。そして阿修羅王との出会い。ナザレのイエスが救世主とされた裏にあった陰謀。そしてそれら全てが、人類が宇宙進出を果たしたはるかな未来における世界の静かな崩壊につながっていく。太陽系創生・地球創生に関する描写は1970年代の科学的知見に基づいたものなため、さすがに少々古めかしいが、その格調高い筆致には今なお感動を禁じえない。特に、「寄せてはかえし 寄せてはかえし」から始まり「夜をむかえ、昼をむかえ、また夜をむかえ。」で終わる序章の10数ページは、朗読したくなるほどだ。
阿修羅のごとく [DVD]
森田芳光監督は、アマチュア映画から出て来た監督としては、デビューから昇り龍のように成功した人だった。
ぼくにはその最初の数年の数本しか面白いと思う作品がない。
その面白い数本はとても好きな作品なので、その後こんなに関心が持てなくなる監督も珍しい。
「それから」の頃のこと、「想い出の森田芳光」なんて題の、写真のたくさん入ったシネマブックを買ったぼくは、そのタイトルに不吉な思いがしたものだ。
彼自身がつけたろう奇妙なセンスの冗談タイトルが、その未来を予測していたのか。
「阿修羅のごとく」の映画として出来栄はちゃんとしているといえるのだろうし、破綻は全くない。
が、それは同じ文芸物の「それから」にあったような、原作に忠実に描きつつも新鮮に感じられた、あの映像の体験やシャープでありクールでもありながらのパッション、それはどこかへ消えてしまったとしか思えない凡庸な緊張感のない画面。
なにか制作発表のころの記事などを思いだせば、新しい視点で、とか、映画化の意気込みが語られていたように記憶していたけれど、そんなものはどこにもなかった。
映画にする必然性がなかったと感じられるのは「残念」と言うほかない。
そして、昔放映された和田勉演出のを観たものにとっては、その重量感ある作とは比較しようもない退屈なものだろう。
ひとり八千草薫さんの女優としての完成度を確認できるというしみじみした感動をのぞいては。
八千草さんは、役中の夫の浮気先の近くにさまよい出ての、その葛藤の心から倒れてしまうあの場面、森田監督の設定する平板な場所のなんとも魅力のない画面をしっかりと救ってしまった。
役者さんの魅力が大きく左右してしまうとはいえ、深津絵里さんのがんばりはうれしい感じではあるけれど、和田勉演出の娘たち四人の確かな存在の余韻は森田監督版にはない。
マイ・ファ二ー・ヴァレンタイン ~スティング・アット・ザ・ムーヴィーズ
どの程度レア・トラックが含まれているのか。どのように曲が、提供された映画と関わっているのか。提供された映画は名作、もしくはヒット作なのか。これらの問いを別にして、この映画テーマ集を、ベスト盤と同じコンピレーション盤として聴いたときに、音楽的な特徴として思い浮かぶのは、ジャズ・フュージョン、ピアノ・ナンバーが多いということでしょう。
もちろん、「デモリション・マン」のセルフ(正確にはポリス)・カヴァーのように、近未来SF映画に提供したがゆえに、ポリス時代を思わせるロック・ナンバーも終盤に含まれています。でも、やはり、冒頭のトラック1でスティングは名ジャズ・ピアニスト、ハービー・ハンコックと共演していることも示すように、ほかのオリジナル盤、ベスト盤と比べても、このコンピレーション盤では、ジャジーで、とくにピアノが響くバラードが圧倒的に印象に残ります。スティングのジャジーなヴォーカルをたっぷり聴けました。とにかく、極上のメロウネス(=円熟、穏健)がいいですね。
とくにメロウなスティングをたっぷりと楽しみたいかたがたにとっては、ベスト盤のほうよりも、こっちのほうがオススメです。