八甲田山 完全版 [DVD]
レンタルや祖母の家で何度見ても良かったので購入しました。
八甲田山の行軍という運命を背負わされたことや、私のように何か気づいても後のことを気にして上官に進言や逆らうことのできない人間の、そのことで背負うことになる宿命などがあり、人の切なさのようなものがあると思います。
孤高の人〈上〉 (新潮文庫)
学生時代に初めて読んでから、いままで一番繰り返し読んだ本だろうと思う。実際の人物を描いた山岳小説であるが、山にまったく興味がなかったのに無性に山に登りたくなった。そして主人公の魅力に取り付かれてしまった。 何度読んでも味わい深い内容である。山について語りながらも、仕事について、恋愛について、そして人生について語っている。
先日再び高取山に登ってみた。小説の中で主人公の加藤文太郎がこの山に何度も登るシーンがあるが、いまも当時とかわらない神戸の美しい街が広がっていた。
この本との出会いは、自分にとっては限りなくかけがいのない「出会い」とでもいうべきものだったと思う。
八甲田山 特別愛蔵版 [DVD]
1977年に劇場公開されたこの作品は、戦後の日本映画の黄金期を支えた傑出した映画人が集結して完成された最後の作品のひとつということができると思う。
このあと、日本映画界は急速に矮小化して、「零細業界」へと没落していくことになる。
今日の多数の映画人を特徴づける、卑小な「個」の世界に埋没した視野狭窄は、こうした作品を創出した世代が年老いていくなかで、支配的なものとなり、今日まで映画芸術を呪縛することになるのである。
黒澤 明を起点として、この作品に参加したひとびと(橋本 忍・野村 芳太郎・森谷司郎)に継承されてきたのは、端的にいえば、「天」の視点から人間をとらえることのできる垂直的な感性である。
換言すれば、それは、その最善の意味における「悲劇の感性」ということができるかもしれない。
真の意味で人間が自己の器と対峙するのは、悲劇のただなかにおいてであることは、時代をこえて、変わらない。
しかし、そのことを忘却するとき、われわれは不可避的に「人間の視点」に埋没し、運命を生きる活力を去勢されていくことになる。
この奇跡のような作品を鑑賞しながら、こうした偉大な作品を創出する感性が数十年前にはまだこの国に息づいていたことを知り、いたく感銘した。
八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)
本書は八甲田山死の行軍の事実が淡々と綴られています。私は子供の頃に
映画「八甲田山」を観てその史実を知りましたが、本書の存在は大人に
なってから知りました。本書を読むと、今でもその時の酷寒が思い出せます。
ごく稀ですが、私は今でも冬山で帰路を見失うと、「雪の進軍、氷を踏んで♪」と
景気づけに歌います(本当は開けた口から体温が逃げるので、歌うなどとんでもない
話なのですが…)。もう完全に八甲田山が身体にインプリンティングされていますね。
困ったものです。
※ちなみに本書は「八甲田山死の彷徨(ほうこう)」と読みますのでご参考まで。
あ、「彷徨」とはさまよってしまう事です。実に悲惨ですね。
孤高の人〈下〉 (新潮文庫)
上巻に続いて、下巻も一気に読み終えた。
上巻で加藤文太郎のいい所も、悪い所も分かってきていたので、
いつしか加藤文太郎を身近に感じ、応援している自分がいた。
登山家の運命ともいうべきか、壮絶な最後が待っていた。
冬山で、決断していく一つ一つが、最後の結末を引き起こしていく。
迫真に迫るものがあった。