審判 [Blu-ray]
悪夢そのものの展開は「イレイザーヘッド」よりも深くて重い。原作は全然映像的じゃなく、カフカが紡ぎだす不条理な論理の展開を追うには知的努力が要求され、一筋縄ではいかないが、この映像版では、ヨーロッパの思想・言語・宗教が構えている強固な体系が、諸様式の暗鬱な建築として象徴的に映像で表現され、そのあちこちに開いた扉や小さな穴から、隠された秘密(謎のままだが)が見えてくるという構造になっていると思う。
オーソン・ウェルズのような巨大な教養人でもある映像作家がこれを映画化している意味については、四方田犬彦「ハイスクール・ブッキッシュライフ」の丁寧な論考に教えられた(この作品を見る人は、ぜひ当該箇所を参照して欲しい)。それを読んだ時、四方田氏も言及していないあることに気づかされたので、ここに書いておきたい。それは、なぜウェルズは映画の最重要箇所「法の門」で、A・アレクセイエフの「ピン・スクリーン」技術を使ったのか、という理由だ。
ピン・スクリーンとは、大きな白いボードの上に穿たれた数千もの小さな穴全てに、黒く塗られた円錐形のピンをボードの裏から刺したものだ。それぞれのピンの高さを調節し、照明を当てることで、ボード上に生じるピン先の影には繊細な濃淡が生まれ、それによって版画のような画像が描かれる。画像は線や色で描かれたものではなく、単なる影にすぎない。これは特殊な短編を除き、普通の映画には「審判」以外に使われたことがない、とんでもない奇想の技法である。
ピンスクリーンで作成された「門」画像による小エピソードは、まずオープニングで紹介される。そして映画の終結部で、ウェルズ自身が演じる弁護士が、Kに向けて同じ「門」のスライド画像を小型プロジェクターで映写する演出になっている。その魔法使いの幻燈のような雰囲気も悪くはないが、これではわざわざピン・スクリーンという変態技術で「門」の画を描いた意味が分からなくなっている。おそらくウェルズは巨大なピンスクリーンそのものを映画の中に登場させて、アンソニー・パーキンスをその前に立たせ、「その門には入っていけない」とやりたかったのだと想像する(できなかったのは技術的困難?、予算不足?)。ウェルズ自身によるオープニングの「門」カット版が存在するということも、ウェルズにとっては不本意なものであったからと考えれば辻褄が合う。
この作品は、光と影を駆使して論理を組み立てるという映画の原理を強烈に意識させる。多くの手の込んだ印象的な悪夢イメージの創造があり、映画好きならぜひ一度は見てほしい。ただ惜しいのは、肝心要のスライドショーのシーンにどうしても上記のような妥協を感じるからだ。巨大なピン・スクリーンの前でKと弁護士がやりあうシーンがあれば、ウェルズによる映画史への大きな貢献となったはずである。