愛蔵版 機動戦士ガンダム THE ORIGIN XI ひかる宇宙編 (単行本コミックス)
10年に亘る大仕事となった安彦良和による長編漫画。愛蔵版11巻ではいよいよ佳境の-ひかる宇宙編-。機動戦士ガンダムの最大のエポックであるララァとアムロの邂逅の章が安彦良和の手より描かれる。本作連載開始より待ち焦がれた章がついに描かれた。しなやかなガンダムの動き筆致は冴え渡る。
テレビシリーズのアウトラインを追いつつも、原作に囚われない安彦先生の演出も細部に細やかに配置されている。宇宙における連邦の勢力は未だジオンの庭の中であり連邦の劣勢。ギレンのソーラー・レイの光芒は、デキン・ザビとレビルを呑みこみ事態は混迷を辿る。
本作は北米へのガンダム展開の重要なコンテンツとして、サンライズより企画されテレビ・劇場版でアニメーション・ディレクターを務めた安彦良和に作画の依頼が為された。当時病気療養中であった氏は20年支持され続けたガンダムの有りように思いを巡らしたという。
アニメの現場を離れ古代史や満州での戦争や近代化の過渡期を描いた劇画を執筆していた氏にとって、劇場版より距離を置いていた不詳の子供たちとの再会。執筆の動機は「20年支持され続ける物語」の持つ本質を
今一度描いて置くべきではないかと感じたからだという。
シリーズ化され、様々な作品が描かれ入口は多岐に亘るガンダム。その最初の物語はこうであったと示したい、それが入院中にきったネーム執筆の動機であったという。それは既にガルマ編までのボリュームであり、角川書店では毎回100ページの掲載を可能にする為に新雑誌を創刊を決断した。
掲載雑誌「ガンダムエース」は増刷を繰り返す大ヒットを記録する。
安彦良和の描いたガンダムが読める。レイアウトの巧さ、読みやすさ、重量感、古参のファン、新しいファン双方に歓喜を持って受け入れられた。
「機動戦士ガンダム」は原作をアニメの総監督である富野喜幸が創作している。テレビシリーズ参加のおり
その世界観に新しい仕事として心酔し没頭した安彦氏は、コミック版を描くにあたり富野氏の意図するラインを底本としつつ独自の解釈も織り交ぜていきたいとしている。
白を黒にするのでなく白はなぜ白であるのだろうか?という解釈を描きたいとした。
それが顕著に執筆されることになったのは「シャア・セイラ編」に始まる一年戦争開戦前史である。ガンダムは敵役であるシャアの復讐劇ではないか?と執筆しながら構想したことより描かれた物語。
オリジナルストーリーであり、漫画家安彦良和の力量、構成力に感嘆する物語であったと思う。
ダイクンを除き、覇権を簒奪したザビ家。しかし、シャアの復讐の動機は母への思いであるとした。父ダイクンへの嫌悪、それはその周辺で翻弄されてしまった可哀そうな母の境遇を強いたザビ家一党へと向けられる。キシリア・ザビは幼いシャアの胆力を畏れた。今巻で対峙する二人の思惑。過去編のオリジナルシリーズを経て、一層面白味を増すことになったと思う。
劇場版を手本としながらも、テレビシリーズで印象的だったエピソードも加味させ、本作は執筆されている。主人公アムロ・レイ。内向的で思春期特有の気難しさを持ち、戦いの中で自身も気づかぬ内に卓越した
資質を開花させる。復讐の鬼子というシャアにとってアムロは、対峙しなければならない敵としてあり、同時に二人の間にはララァという少女が深い係わりを持つことになっていく。
恋でもなく、友情でもない本質的な出会いを遂げるアムロとララァ。復讐から新たな野心を見出すことになるシャア。互いに容れることのない二人。
人の革新を見出すと騙る仮面の男と生涯を一瞬で失ってしまった喪失感に苛まれるアムロ。そして単身ア・パオア・クーに辿りついたセイラを待つ運命、ラルの導き。それを知ったキシリア・ザビの焦燥。
大局とは別に人類の進化の革新であるというララァとアムロの邂逅。
なぜ「光る」を「ひかる」と安彦氏はひらがな表記にしたのだろう。何だか「光る」を「ひかる」とすることで私は「裸」を連想してしまった。キシリアとシャアの密談も、彼女の生の声を感じ取れる。また仮面を脱いだキャスバル・ダイクンの野心も剥きだした牙の様でもある。
そして、ララァとアムロの邂逅は血みどろの戦場で丸裸になるということその物ではないだろうか?
聡明なミライはそれを危惧し「いけないわ!」とアムロに呼びかけたのではなかったか?
なぜ、自分がこんなにも戦えてしまえるのか?アムロ・レイにも判らなかった。それを戦場で、ララァとの
出会いで判ってしまった。どこかの島宇宙から見つめる誰かの視線。わかりあったひと同士の真理。
だが、シャア・アズナブルにはそれを許せる道理ではない。自分の女が間男にさらわれる口惜しさ、自身が
ニュータイプのなり損ないである事実。それが、ララァを死なせる結果となったこと。
涙する残された二人は、今は喪失感で苛まれる。それが、ふたりの宿命なのか?
ジ・オリジンのクライマックスを前に彼らの辿った道程と、周辺で関わりを持った多くの人々の姿を水を漏らさぬ手堅さで執筆された作品。
ぜひ、たくさんの皆様にご覧頂きたいと思う。安彦さんによる漫画が読めたこと、本当に嬉しいことだったと思う。
TOKUMA Anime Collection『アリオン』 [DVD]
小学生の卒業式のころに映画館でみていらい、感動をずっと忘れられなく、初めてみてから、24年経過してやっともう一度みる機会に恵まれました。
ギリシャ神話とか好きな人にはお勧めです
機動戦士Zガンダム 13 [VHS]
この作品を見たのは私が中学生の頃でしたが、10年近く経っても未だ自分の中で消化できていない、消化するのが躊躇われる、それほどまでに深い作品だと思います。
ラスト付近では主要登場人物が次々と無残な死に方で散り、最終話ではあまりにも有名な主人公カミーユの精神崩壊で幕を閉じるこの作品は、最後の最後まで報われないものでしたが、当時一端に思春期特有の自殺願望を少なからず持っていた私にとっては、計り知れないほどのカタルシスを得られたのも確かです。
ガンダム史上最も暗く、奇異な主人公として捉えられがちなカミーユですが、その魂の叫びは私にとってどの主人公よりも最も共感を憶え、心に響いてくるものがありました。
映画のサブタイトルは「新訳」となっていましたが、それによって私もZという作品を自分なりに消化できる事を願っています。
(蛇足)
DVDの方にも同じことを書きましたが、もし機会があればビデオ版のジャケットをご覧になってみてください。ビデオは超美麗で本当に秀逸の一言に尽きます。特に13巻のジャケットは物語の締めくくりとして最高傑作だと思います。遠くからカミーユを微笑みながら見守るヘンケン、エマ、フォウ、ロザミア・・・。微笑むカミーユは、どこかもの哀しいけど、神々しくさえあります。ファンの方もそうでもない方も、必見です!
風と木の詩 SANCTUS-聖なるかな- [VHS]
今まで読んだ少女コミックの中で一番影響を受けた作品のビデオ、そして監督が機動戦士ガンダムの作画監督、安彦良和氏と聞けば、大いに期待するのも無理からぬことだった。しかし、キャラクターデザインが安彦氏によるものではなかったのは仕方がないにしても、あまりに幼い。声優も、セルジュが小原乃梨子でドラえもんののび太を連想させ、興ざめだった。音楽、背景はかなりイメージに近いものに仕上がっていたので、今度はもう少し原作に忠実に、かつていねいに、そしてキャラクターデザイン、声優を変更しての続編を切に望みたい。宮崎アニメレベルのものを要求してしまうのは、投稿者にとってこの作品の思い入れがいかに強いかを示すものである。