ヘミシンクによる具現化:Manifesting with Hemi-Sync(日本語)[ヘミシンク]
日本語のガイダンスの声が、硬く重い声質で、加えて、大型犬が唸る際に発するような、「グルグル」とが「ガリガリ」した音を伴っていて、少し聴いた時点で苦痛でした。ガイダンスの中に、「リラックスしましょう」とか、「リラックスさせます」という文言が多く出てきますが、この重く威厳のある声質(ダンディな良い声質)は、ヘミシンク音に比べ、音量レベルが大きいようで、リラックスの妨げになりました。ヘッドフォンで聴いていましたが、気付くと、眉間に皺が寄って、目の周囲からこめかみ辺りまでが力んでいて、身体が不快な刺激に耐える反応をしてしまっていました。
ヘミシンクとガイダンスの声の音量比率をこれくらいに設定にするのであれば、例えば、キャスターの小谷真生子氏や、歌手の平井堅氏のような声質にすれば、違和感なく、より自然に効果が発揮されるのではないかと感じました。
ヘミシンク音のみの部分では、ウトウトするような感じと、身体がふんわりして空気との境目が無くなるような感覚をおぼえました。この短い間だけは、心地良さをおぼえながら、自分の中身が遥か遠くに移動するようなイメージがありました。
もしかしたら、私は少し音に関して敏感なほうかも知れませんので、聴く方によっては、私が感じた、硬い声質の不快感を覚えずに、このCDの良さを感じられるかもしれません。
ヘミシンクとガイダンスの声の音量比率をこれくらいに設定にするのであれば、例えば、キャスターの小谷真生子氏や、歌手の平井堅氏のような声質にすれば、違和感なく、より自然に効果が発揮されるのではないかと感じました。
ヘミシンク音のみの部分では、ウトウトするような感じと、身体がふんわりして空気との境目が無くなるような感覚をおぼえました。この短い間だけは、心地良さをおぼえながら、自分の中身が遥か遠くに移動するようなイメージがありました。
もしかしたら、私は少し音に関して敏感なほうかも知れませんので、聴く方によっては、私が感じた、硬い声質の不快感を覚えずに、このCDの良さを感じられるかもしれません。
成功の実現
人を大雑把に気の強い人と、弱い人に分けるとすれば、私は10年前までは後者でした。原因は、持って生まれた傾向と、過去の経験と、それに対する私の心の受け止め方の積み重ねだったのでしょう。もちろん気が強いと言っても、人の迷惑を顧みないのは論外ですし、一見気が弱そうでも、笑いに置き換えて、明るくスルスルと抜けられる人もいます。しかし私の場合はどうも外界の出来事を「ネバネバ」受け止めすぎて、心にわだかまりを溜め過ぎていました。ノイローゼ程ではないにしても、心理的にすぐ疲れていました。そんな時に出会ったこの本からは、「心の管理法」の重要性を学びました。著者は、心、肉体、そして気のそれぞれの役割、重要性を、丁寧に、噛んで含ませる如く、そして特筆すべきは漫談風の「べらんめい」江戸っ子口調で面白く説いています。その言葉には著者の体験に基づく真実があり、自分の心の動き、煩悶、とらわれ、迷い等からの自力の救済の可能性、否、絶対的必要性を説いています。私は自分の弱気をなんとかしようとする過程で禅にも関心を持っていました。著者は、日本人で初めてのヨガ体得者と紹介されていますが、私にはこれほど分かり易い禅の解説書もないと思えました。仏陀の悟りとは何だったのか。宗教とは何か。凡人が悟れるのか。著者は言います。「ただの石ころでも、磨けば光沢を放つ、磨かなければ、ただの石のままだ」。何度読んでも飽きない、勇気付けられる、慈悲に満ちた書です。
運命を拓く (講談社文庫)
失業、離婚、親との死別など、30代前半で人生の岐路に立たされました。多くの人は自分なりに立ち直り、新たな人生を歩むのでしょうが、私は失業したまま酒浸りの日々を送るようになり、かつて一流私立大学卒の一部上場企業の営業マンだった頃を思い出し、上司や同僚、取引先の人達の言動を思い出しては、家族がいない70平米のマンションの中で誰かに怒鳴り散らし、部屋中に酒瓶とゴミを散乱させながら、生ける屍のごとくなり、気づいたら学生時代の親友に連れられて精神科で入院生活を送ることになりました。
少しずつ回復して退院したものの、何もかもやる気が起きず、酒こそ飲まなかったものの、一日中ベッドに入ってノートPCでインターネットを徘徊していました。何がキッカケか忘れましたが、いわゆる「成功本」「人生本」に救いを求めるようになり、ベストセラーから有名本から、手当たり次第に買っては読み漁りました。「マーフィ」「道は開ける」「思考は現実化する」「ザ・シークレット」などは感銘を受けましたが、なぜかシックリこない。その原因が「外国人が書いたものだから」と気づきました。書いてあることは同じでも、キリスト教的価値観や死生観などが、日本人とは合わない。
日本人には日本人の著者が書いたものが分かりやすいと思い、「森田療法」「運命を拓く」を買いました。鬱々と落ち込んでしまったしまったときは「森田療法」を読み、「運命う拓く」の誦句は、手帳に貼って、毎朝毎晩必ず、声を出して読み、電車の中や散歩の途中などにも見るようにしています。今では、新しい仕事を見つけたばかりか、トップからの投資をいただき、仲間十人とベンチャー企業の立ち上げに成功しました。まだまだ売り上げは大きくありませんが、いずれグローバルに展開できる企業に育てたいと思っています。朝から晩まで4リットルのペットボトルの焼酎を抱えていた頃が嘘のような毎日です。
中身については、今更くどくどと書くことはしない。ただ、この二冊の本に深く感謝するだけです。日本は非常に厳しい時代ですが、多くの人が救われ、生き生きとした人生を送ることが出来るように願っています。
少しずつ回復して退院したものの、何もかもやる気が起きず、酒こそ飲まなかったものの、一日中ベッドに入ってノートPCでインターネットを徘徊していました。何がキッカケか忘れましたが、いわゆる「成功本」「人生本」に救いを求めるようになり、ベストセラーから有名本から、手当たり次第に買っては読み漁りました。「マーフィ」「道は開ける」「思考は現実化する」「ザ・シークレット」などは感銘を受けましたが、なぜかシックリこない。その原因が「外国人が書いたものだから」と気づきました。書いてあることは同じでも、キリスト教的価値観や死生観などが、日本人とは合わない。
日本人には日本人の著者が書いたものが分かりやすいと思い、「森田療法」「運命を拓く」を買いました。鬱々と落ち込んでしまったしまったときは「森田療法」を読み、「運命う拓く」の誦句は、手帳に貼って、毎朝毎晩必ず、声を出して読み、電車の中や散歩の途中などにも見るようにしています。今では、新しい仕事を見つけたばかりか、トップからの投資をいただき、仲間十人とベンチャー企業の立ち上げに成功しました。まだまだ売り上げは大きくありませんが、いずれグローバルに展開できる企業に育てたいと思っています。朝から晩まで4リットルのペットボトルの焼酎を抱えていた頃が嘘のような毎日です。
中身については、今更くどくどと書くことはしない。ただ、この二冊の本に深く感謝するだけです。日本は非常に厳しい時代ですが、多くの人が救われ、生き生きとした人生を送ることが出来るように願っています。