だいすきなうた
同じマリちゃんでも一転しておとなしいアコースティックな曲と素朴な詩、そして暖かく優しい歌声。
内容もあどけない恋心やチアソングでなく、少し大人びて生活感に近い目線というのがとても親近感があります。
かわいらしく、しかし勢いのままに弾けていたアルバム「Happy!Happy!Happy!」もいいけれど、こういう語りかけるような歌もいい。
ヘッドホンで静かに聴くとそれは至福のひととき。マリ姉があなたのためだけに耳元で歌ってくれるから・・・。
コンセンサス・ビルディング入門 -公共政策の交渉と合意形成の進め方
(本書に比較対象で少し登場するが、)一連の「ハーバード流交渉術」シリーズに通じる具体的実践的事例を体系化した内容で、論理的で読みやすい。ただ、多少ステレオタイプな解説も否めない。ハーバード系(著者はPONだったかな?)っぽい。特別新しい発見ではなく、「まあ、そりゃそうだな」かもしれないが、論理的かつ体系的にまとめられており、「へぇー(知らなかった)」よりも「そうそう」「んだんだ」「うまくまとめられてるな」って感じ。
positions、interests辺りはまさに交渉術やメディエーション。
全体をそのまま実践するにはある程度の訓練が必要かもしれませんが、視点、アプローチとしては知っていて損はない!簡単に取り組めそうな部分もあるので、少しずつ取り入れていってもいいのではないでしょうか。
囚人のジレンマ―フォン・ノイマンとゲームの理論
応用数学の分野で世界に多大な貢献をした数学者、フォン・ノイマンの名前は多くの人は耳にしたことがあるかもしれません。
ゲーム理論、ノイマン型コンピュータ、ETC。ハンガリーからアメリカに行き着いた優秀な頭脳の成し遂げた逸話の数々。第2次世界大戦から冷戦の間を通して、RAND研究所においてアインシュタイン、「ビューティフルマインド」のナッシュとともにアメリカのトップの頭脳の一人であったノイマン。
彼の人柄、人生、思想を当時ソ連との緊張高まるアメリカの状況と織り交ぜて話は進みます。
「大東亜戦争」はなぜ起きたのか -汎アジア主義の政治経済史-
欧米、ロシアに抗するためには、近代化し軍備を充実させ「蝦夷を開拓し、隙に乗じてはカムチャツカ、オホーツクを奪い取り、琉球を手中に収め、取り易き朝鮮を取り、北は満州の地を割き取り、支那を切り随へ、南は台湾・ルソンの諸島をわが手に収め、インドにのぞみ、漸次進取の勢いを示すべきである」。
まさに明治以降の日本の膨張主義的国家戦略、後の大東亜戦争に至る方針を言い表したものではないか。しかしこれは誰あろう幕末の思想家、長州の吉田松陰が遺した言葉なのだ。嘘だと思うなら、今でも入手し易い中央公論新社刊行の著作集を読んでみればいい。吉田松陰は幕末の偉大な思想家と教科書にも出てくるが、戦前はこうした主張及び維新の思想的先駆者として神に祭り上げられ、戦後はこのような彼の主張には触れずに、今日の評価に至っている。ただの思想家ならばその影響力は限られたものであっただろう。しかし彼は教育者であり、松下村塾での弟子達がいた。安政の大獄で非業の最期を遂げるまで、彼は弟子達にこの国家戦略を繰り返し述べている。明治維新後、木戸孝允、伊藤博文、井上馨、山県有朋などの弟子達は、長州閥として国家の中枢を担っていく。当然、師である吉田松陰の国家戦略を念頭に置き、それを忠実に実行に移していったのだ。
こんなことが頭に浮かんだのも、最近入手した本を読み始めたからだ。『「大東亜戦争」はなぜ起きたのか――汎アジア主義の政治経済史』松浦正孝著(名古屋大学出版会)。千ページ以上もある大著である(持ち運んで読むには不便なためなかなか読み進めないのが難点)。「アジア主義」や「大東亜戦争」に至る過程を、当時の「気分」を含めて実証研究しようという壮大な試みだ。当初、「大東亜戦争」には、肯定論者が主張するような「アジア解放」の観点が無く、敗色が濃厚になってから掲げられたスローガンであること。「アジア主義」とは日本本位の概念であり、連帯と侵略の二つの側面の検証展開など、なかなか面白い。
アジア主義の源流においては、日本海を大陸の内海と捉え、通商交通の観点から福岡(頭山満などの玄洋社)、新潟(庄内・石原莞爾)を位置付け、大陸との接点から九州とりわけ薩摩をその起点としている。西郷隆盛が、転向「左翼」を含むアジア主義者に敬愛されるのもそこにあるとする。そこまで言っときながら、「転向」という言葉を外した「左翼アジア主義」者がいるかどうかは否定的である、という著者の見解にはオイラ不満だなあ。
ようやく松井石根と大東亜共和会の部分まできた。南京虐殺の責任者として知られた、その本質は如何。